傷痕は”過去は現実だった”というしるし

薬を飲み始めた影響が節々に出て、

どの自分が私なのか最近はよくわからないながらも

なんとか楽しんで生きてみようとする自分がいます。

 

 

大学が夏季休暇に入ったおかげで、

「夏休みはどうするの」とか

「夏休みは何するの」といったような

質問が学生間で交わされます。

私もしてるし、

学生以外の友達にも質問されましたしね。

 

 

なんせ私、

日本の大学の夏休みっていうのがはじめてだから、

ちょっと浮き足立ってるところもあります。

8月に夏休みを経験したことはあれど、

9月も夏休みっていうのはどんな感覚なのだろうと、

今から楽しみにしています。

 

 

 

 

大学生の夏休みって何するんだろう。

多分、サークルの合宿だとか

海だとかBBQだとかするんでしょうか。

そういえば去年は会社のBBQ参加したな。

あれは夏っぽかったな。

 

 

 

夏合宿のある団体に所属しているわけでもなく、

特に夏らしい予定を立てていない私ですから、

友人知人と会う約束をちょいちょい入れつつ、

フェスとライブに行く予定がついここ数日で入りましたけれども、

あとは自分なりに働きたいところを探して

何より自分に向き合う夏休みにしたいと思っています。

 

 

この前、ある友達に

「夏休みは何するの」と私が質問したところ、

彼は

「夏休み明けに友達に何したか聞いて焦りたくはない

だからそうならないようにはしたい」

 

と答えてくれました。

 

 

 

★★★

 

ここ最近、ほとんど毎日、

「鬱じゃないって最高だな〜!!!」

と声に出したり(in部屋)

心の内で叫んでみたりしているほどに

気分が良い私ですが、

それでも私が不安になることと言えば、

元気な自分が果たして本当の自分なのかということ。

 

 

本当の自分とは、って

考えすぎると哲学に入ってきそうで、

人によっても答えが違うだろうし、

私の中でもちゃんとした答えが決めきれていないので、

自信を持って言える言葉はありません。

 

 

こうして元気なのに

不安になったり

自分を怪しむ第一の理由は、

薬がどこにどう作用して、

どこまで私を左右しているのかわからないためです。

 

 

 

以前から、バイポーラー気質があるなと

感じてはいるんですが、

楽しい気分になったら、

「これは薬のおかげ?」

「今って躁状態?」

なんて考えます。

 

(大体ハイになってやったことが

その後にいい影響を与えたことがあんまりなく、

むしろ悪影響をきたしているときも多くあり、

そういう事柄が増えたことから疑い始めたんですが、

最近は薬のおかげで抑うつにもならないし、

気分の落ち込みも激しくなく、

切り替えも早くなりました。

むしろ、物事を以前よりもいいように捉え、

何事も楽しみたいという気力も湧いているのですが、

特にテンションが高くなると、

胸の鼓動が早くなるのを感じ、

体に力がみなぎって、

落ち着きがなくなって、

すごくおしゃべりになりたくなるんです。

だからといってそのまま友達に話したりはしませんが、

誰かと話したくてたまらず、

カウンセリングや友人との約束が恋しくなり、

突然声をかけて友人を誘うこともある。

 

書きながら調べていて感じたんですけど、

普通にこれ躁状態っぽいな。うーん。

でも病気とはまた違うと自分で思ってる。)

 

 

 

最近で言えば、

友達との楽しい予定が入ったとき、

個人的に楽しみな予定が入ったとき、

友達とお話ししている最中でやりたいことが出てきたとき、

自分がやろうとしていたことをやり遂げられたとき…

 

なんかにハイになっていくんですが、

これは当たり前じゃないの?

やる気が出て、生きる気力が増し、

ワクワクしてきたり、

それって普通じゃないのかな。

 

今このブログ書く気になったのも、

自分のやろうとしたことを

後回しにせずちゃんとやるようになっている自分をみて、

成長を感じ、

それとともに「今なら文章も書きたいな」

と思ったからなんですけど。

 

 

問題意識をあまりに持ちすぎているわけじゃないけど、

精神は見落とすのは危ないし、

正直どうしたらいいのかわからないのだけれど、

ていうか書いててちょっと深刻っぽくしちゃっただけで、

そういうつもりはないし、

そんなこと言ってたら、

元気な自分・調子のいい自分って、

常に躁状態なわけ?人に迷惑かけないならよくない?

と思う自分もいます。

(薬を飲み始めるまでは人に迷惑かけまくる躁状態が多かった)

 

 

 

まぁそういうこともあって、

どの変化が自分にとっての努力の結果の成長で、

どの変化が科学的に作用されたもので、

っていうのがまだはっきりとつかめていない分、

今生きている自分というのも

なんだか少し不確実な感覚がするのです。

 

それでも、

自分が自分であることに疲れたという感覚は

もうほとんど消え、

今は自分が自分であることに誇りを持とうとしているし、

全部の私にもやがかかっているわけではないと思います。

 

 

ただ、そのあたりをもうちょっとちゃんと

掴みたいからこそ、

こうやって言語化したり、

ここに書かないことでも

ほぼ毎日自分の変化や行動を記録に残し、

生活スタイルを自分なりに分析し、

そして外部の情報を収集しつつ勉強しています。

 

 

 

この夏休み、

私はそうやって自分を被験者に、

自分なりに自分の研究をすることに専念したいなと、

心から思っています。

 

 

 

薬の影響がどこまであるかわからない

不確かな自分でリスキーなことや

新しいことに挑戦するのは少々不安なので、

あまり大きく動かないということでもあるけれど、

それでも、ほとんど外出せず人とのコミュニケーションが乏しい日であっても、

自分の観察をしていると、

記録に残したいことが多すぎるくらい、

やれること・学べること・気づけることというのはたくさんあります。

 

 

だから、

私はこの過ごし方に今のところ不満はないし、

楽しいし、やりがいを持っています。

 

でもきっとこのすごし方って、

他の人からみたら、

「何してたの?」と言われるかもしれない。

 

ただ、そんな

人からどう見られるかとか気にしているのはつまらないし、

自分のためになる気にし方ならいいけど、

そんな他人のために夏休みを使うわけじゃないし、

これまでの立て直しと

これからの計画のためにも、

いい期間をもらったからしっかり休んで使いこなそう

という感じでいます。

 

 

★★★

 

 

確かに私も、

病気を経験せずにそのまま過ごせていたら、

ちょっとでも見栄えのいい休みにしようとか、

いろんなことをしようと意気込んでいたかもしれません。

 

どんなに周りが起業しても、輝かしく活躍しても、

今の自分は、他人を見て焦ることはないだろうと思います。

 

 

それは他人とは、

おこがましくも通ってきた道が全然違うし、

同じ土俵にもいないどころか見てきた世界が違うのに、

比べたところで相手に失礼だし、

自分にも失礼だからということがあります。

 

加えて気分がいいから忘れがちになるけれど、

服薬している治療中の身で、

何も完璧に元気になっているわけではないんだろうから

あんまり無理しようとも思えない。

 

 

そういうわけで、

この薬という科学や医療から学び、

自分を見つめた毎日の変化や成長を感じ

一人称を大事にして、

これまでを振り返りつつ、

外部から見聞を集め、

どこからなにを切り取って

自分の今とこれからに活かしていけばいいのかを考えるには、

もはや2ヶ月弱では足りないかもしれない。

 

 

 

派手なものは何もないけれど、

自分がこの先の人生、

もっともっと生きやすくするための、

勝負の大学一年生の夏休みになると思います。

 

 

というか、なっています。

 

これからもそうしていきたいです。

 

 

 

 

毎日、自分でいるのが楽しい。

自分を見つめるのが面白い。

鬱じゃないって素晴らしい。

そう感じられる日々があります。

 

 

心がどんづまって、

死にそうなときは、

毎日をやっていくのに必死で、

生と死の境目が薄くなりました。

 

そのおかげで、1日を終えるたびに

「生きた」という実感を得てきました。

 

苦しいとき、「生きる」ことを実感しました。

 

その苦しみはやっと通り去ったけれど、

生の実感を簡単に忘れることはありません。

 

元気になれても、

生きることが当たり前だとは思えず、

「生きてる」って思って、生きています。

 

 

だから、

毎日いろんな自分を発掘し、

再発見したり、

新発見がある日々が、

たとえ他の人々からは形容しがたい1日だとしても、

私にとって大事な日々なのだと、

自信を持って言えます。

 

 

目に見える形で

何かを得られるような夏休みではないかもしれないけれど、

私がそれでいいというなら、

それでいいんだと思えるようになったことは、

随分な成長だと感じます。

 

ようやく、他人基準ではなく、

自分基準で生きる生き方を知りました。

もちろん人は大事にしたいけれど。

 

 

でも、きっとまだまだ。

 

周りと比較しないようになってきたとはいえ、

やっぱり病気だった2年半を、

皆は人間として成長してきたのに、

私はマイナスをゼロにするための2年半として費やしてきたから、

他の人より幼く、未熟であろうことは重々承知しております。

 

 

 

ま、あんまり自分を過大評価することも

過小評価することもなく、

冷静に見れたらいいですね。

 

 

 

あとハンニバルシリーズにはまってしまいました。

私ああいうの本当苦手だったのに、

好奇心が勝ってしまい、みはじめたら止まらず。

 

精神異常者にちょっと興味があるんですよね。

なんか自分が怖いような気もしますが、

こういう変化も面白いです。

(タイトルは、レッドドラゴンでのレクター博士の言葉です。

感動しました。この人すごいな。)

抗うつ薬から学べること(2)

yukikawahara.hatenablog.com

の続きで、

新しく精神科に通ってから

起きた明らかな変化と、

通い出す前から私に起きていた変化を

掘り下げつつ、

どこから何を私が学べるのかを記録したい。

 

 

★★★

 

 

【変わったこと】

 

 

その時の自分に必要な食事量がわかるようになった

過食の衝動が皆無

 

→これは薬がうまく働いてくれていると思う。

 

今までは摂食中枢がうまく機能せず、

ご飯を食べても、止める地点がわからなかったのが、

腹八分がわかるようになった。

 

 

病院の先生に

「何が作用してこうなったんですかね」と聞いたら

「セロトニン」って言われたので、

幸せホルモンと言われるセロトニンについて

もう少しちゃんと調べると…

 

Wikipedia参照で悪いけど、まぁそれによると、

 

脳内セロトニンを生成する縫線核群は、大脳皮質、大脳辺縁系、視床下部、脳幹、脊髄など広汎な脳領域に投射しているため、脳内セロトニンが関与する生理機能は多岐にわたる[13]。生体リズム・神経内分泌・睡眠・体温調節などの生理機能と、気分障害・統合失調症・薬物依存などの病態に関与しているほか、ドーパミンやノルアドレナリンなどの感情的な情報をコントロールし、精神を安定させる働きがある。
ホルモンとしても働き、消化器系や気分、睡眠覚醒周期、心血管系、痛みの認知、食欲などを制御している。

 

出典:セロトニン - Wikipedia

Serotonin - Wikipedia

 

ということで。

 

やはりセロトニンは食に対しても

大きく働いてくれることがハッキリしたわけだが、

じゃあなんでセロトニンは減ったのか、

ということも見る必要がある。

 

セロトニン減少の主な原因が

ストレスを長く多くためることらしい。

うまく発散できればいいんだけれど。

 

ストレスにより視床下部が刺激されると、ACTH放出ホルモン(CRH)が分泌され、それが下垂体前葉に作用さ、副腎皮質刺激ホルモン(ACTH)を放出します。そのホルモンに副腎が反応し、コルチゾルなどの副腎皮質ホルモンが分泌されます。これはストレスに抵抗するのに必要なシステムです。

 

出典:図解入門よくわかる精神医学の基本としくみ・武井茂樹著

 この、ストレス抵抗に必要なプロセスが

ストレスをためこむことで

うまくなされない・機能しなくなったんだろうか。

 

 

そんな状態に、

薬がどう効いてくれたのかというと、

(私が飲んでいる薬はアステラスのものではないけれど、

これが一番わかりやすく書いてある気がするので)

アステラス製薬のHPに書かれていることを見てみる。

 

うつ病が起こる原因の1つとして、うつ病の人の脳の中では、神経伝達物質であるセロトニンとノルアドレナリンが非常に少なくなっていると考えられています。抗うつ薬は、このセロトニンとノルアドレナリンの量を増やし、脳の活動を活発にして、症状を良くしようとするものです。
神経伝達物質は、神経細胞から出て別の神経細胞の表面にある受容体にくっつくことで情報を伝達していますが、使われないで余ると、またもとの神経細胞に取り込まれていきます(再取り込み)。このとき、再取り込みをブロックしてもとに戻らないようにするのが、抗うつ薬のしくみです。戻れなくなった神経伝達物質は神経細胞間にとどまるので、量が増えることになり、その結果神経伝達が促進されます。抗うつ薬が脳の神経細胞を回復させるのには時間がかかるので、効果が出るのに時間がかかると考えられています。

 

出典:うつ病 病気の基礎知識|アステラス製薬|なるほど病気ガイド

 

使えてないセロトニン等を、

ちゃんと神経細胞間で動かせるように作用することで、

気分をよくしてくれる・摂食行動を正常にしてくれたのかな。

 

セロトニンだけじゃなくて、

摂食行動にはレプチンやグレリンも関係しているという話を

耳にしたことがあるけれど、

ちょっともうなんかよくわからなくなってきた。

ここら辺との関係性とかどうなってるのかねえ。

 

タニタの運営するサイトにいろいろかいてあるな。

こういうのを参考にして、

薬に頼るだけでなく

普段からセロトニンを増やす・維持する行動を心がけていきたい。

 

ま、でも今は頑張りすぎず、

とにかく自分を甘やかして安心させることからかなと思っているので、

徐々に。

 

 

 

ええと、

科学的な話を入れちゃって、

知ってる人からしたら

「そんな当たり前のこと…」

とか言われそうなことなんですが、

すみません。自分の勉強のためで。

 

 

ここからは自分の感覚での変化を書きます。

前回書いたものとは順番がごっちゃになるけれど。

 

 

体がだるい

 

→これは、ま、薬の副作用ですね。

だるいというか、体に力が入らない。

小さな震えが止まらない、とかも。

困りますけど、

初めの一週間はそれこそ辛かったものの

三週間目の今はちょっぴりしんどいくらい。

 

あ、ただ
ここ一週間ほどはなぜか電車酔いしやすくなった。

元から酔いづらい体質で、

酔っても電車酔いくらいだからな〜という私が

電車乗るたびに毎回酔っちゃうのは、

どうにかならんかな。

 

胃が気持ち悪い〜って思うくらいだから、

胃に負担なのかしら、薬自体が。

でもまぁそのおかげで食欲減退しているので、

別に大事ではない。

 

ただこういう変化はあるにはある。

 

あ、そうだ、

体がだるくなったことで、

飲み込むのも力がいるとわかったから、

前より食べ物を噛むようになった。

 

 

自罰思考が減った

 

→これは薬のおかげでってのもあると思うし、

自分の意識のおかげでもあると思ってる。

 

薬を飲み始めて一週間は体がだるくなって、

食欲どころか生気がなく、

それはそれで

死んじまいたい…みたいに思った日もあった。

 

が、飲み始めてから一週間とちょっと経った頃、

体はしんどいから頑張れないし、

そんな中でも行動しようとする自分に、

素直に喜べるようになってから、

自分に対する意識が変わって

「自分で自分を辛い気持ちにさせる必要ないじゃん」と気づいた。

 

自分を責めたりする時間になると、

脳内で取り締まりをされる感覚。

 

「あっいけない!責めてる!いやだ!幸せでいいのよ私!」

って、自分が緩むことを許すような。

 

この変化が起きるきっかけ、というか

そこまで思えるようになれた初めの一歩は

薬の影響だったかもしれないけど、

自分で自分を強くして喜ばせるための努力を続けている分、

100%薬のおかげというわけではないと思う。

 

これに関しては薬は自転車に乗り始める時の補助輪程度。

そこからは自分の運転だからね。

 

努力って言ったけど、辛いことじゃないし、

あんまり努力という感じもしないのだけれど。

 

 

 

睡眠4,5時間で起きるようになってしまった

 

→入眠までが長くなった。

 

アプリで記録取ったりしているんだけど、

眠りに落ちるまで、

目をつむって30分〜1時間かかってるみたい。

 

で、中途覚醒の頻度も増えた。

寝たのが12時でも、深夜の2時半、3時に起きることが週に3,4回。

5時台には必ず一度起きる。

朝に用事がなければ8時間は寝たい私にとってはちょっときつい…

それから1時間ごとに必ず1度はおきてしまう。

 

 

もっとぐっすり寝たい気もするが、

薬のせいかな〜。

不眠の副作用があるらしいので、

不眠とはいかないけど、ちょっと影響受けてる気がする。

 

本当、思春期で寝られるだけ寝られたうちは

変に心配しないで、ずっと寝とけって言いたい。

どうせ眠れなくなる時、早起きしてしまうようになるから…。

 

ただ、セロトニン増やす関係もあるし、

そうじゃなくてもあまり夜更かししてる場合ではない気がしたから、

そもそも12時前にはベッドに入ることが多くなったのはいい変化。

 

夜型なんで、平気で夜更かしできる私が

自分を気遣って早めに寝るようにしてるのは正直偉い。

10時くらいに寝る支度をするのが幸せで。

どうにかこのリズムをあまり壊さないような

これからの生活スタイル・学生生活を送りたいと思う。

 

 

不安が長く続かない

 

→自罰思考が減ったと共に、

不安になることも、少なくなった。

回数としては同じ頻度かもしれなくても

そこにとらわれる時間が減ったので、

1日に不安になる総時間が減ったと思う。

 

考えても仕方ない、とは思わないけれど、

考えて今から辛い気持ちになるのは嫌だから、

やめるようにしてる。

いつか恋人が「未来に先回りして不幸になるのはバカ」と

教えてくれたことを噛みしめている。

 

 

 

諸々の欲がなくなった

 

→これ、すごく大きな変化。

 

いいようにも捉えられるし

悪いようにも捉えられるんだけどね。

 

食欲・性欲等はもちろんのこと、

出世欲とか、向上心も今停滞気味で、

なんと、数年持ち続けていた夢も、

正直そこまでの情熱ではなくなっていた。

 

まずこのことをいいように捉えて、

というか、

どうして良い影響だと思ったのかというと。

 

①「生」のハードルが下がった

②無価値感の低下

 

ということでして。

 

つい最近、

私のことをよく知る知人が、

「ゆきの問題は欲深さだと思う。
何事にも、今100%を求めるから。
愛にも、健康にも、精神にも、学力にも、
他の人は、20%や10%で幸せを感じてる。
それも、愛だけ、健康だけ、精神だけ、学力だけ、と限定的に
欲が減れば、恐怖も不安も減る。
と、なんとなく思うよ」

と言っていたのだが、

確かに自分は求めすぎるがゆえに自分を苦しめてるなと

理解した。

 

満足を知る、欲を減らすって難しいなと思っていた私が、

あっさりと欲の減った状態になり、

今の幸せは「ご飯を食べた時に満腹感がわかること」になった。

それ以上をあまり求めていない。

というか、2年半ずっと待ちわびたから、

こうなることを。

もう夢のようなわけで、もっともっと!とは思えない。

「こんなに幸せなことなんだ」と食事のたびに満足感に浸る。

 

これだけで、生きていていいという気がするの。

 

もはや前は、

摂食行動がおかしいだけで、

やっぱり生きてちゃいけない気がしてた。

生き心地が悪かった。常に闘いだったから。

 

今は平穏で、自分の考えていた「普通」や「健康」を

手に入れられたからこそ、

全てを欲して全てを手に入れなくてもいいんだなと思う。

 

前までは、

自分は何者かになりたかったし、

成長しようって頑張ろうとしてきたけれど、

それは、今の自分には何もなくて、

何の価値もなければ、

煩わしい病気を持って、価値がマイナスなものだと思っていた。

 

だから、

頑張らなきゃ、

人よりなんかすごいことしなきゃ、

親も認めるほどの何かをなさなきゃ、って

ずっと自分にプレッシャーをかけていたように思う。

 

何もない自分に、

少しでも生きていていいと思える証拠が欲しかった。

 

だから恋愛もそういう求め方をしていたかもしれないし、

勉強もしなきゃいけないと思ったし、

いい成績とれない自分を見たくなかったし、

自分と同じような思いをした人を助けたいなんてことも思っていた。

 

 

今はね、あんまりそういうのがないんだよな。

 

 

ある時、

大学の精神科医に

「人を助けたいっていう前に自分だろ」

って言われて、

あの時はめちゃくちゃムカついたけど、

まぁその通りだったと思う。

 

自分を助けられてないから、

人を助けることで、為になる自分を自分で演出しようとしてたし、

そこに自分の価値を見いだそうとしていた。

 

人に自分を投影して、

人助けのつもりで自分を助ける気持ちに

浸りたかったのかもしれないし。

 

 

自分が救われた初期段階の今は、

人のことより自分のことで精一杯で、

人の為にはまだ何もする気がおきない。

そんな自分を責めることもできないから、

とりあえずこの自分で経過を見ることにしている。

 

今は、

自罰的にもならないから、

自分が自分でいるのが楽で、

これを定着させたい、

もっと自分を見つめたいという欲求や、

ある程度の物欲はあっても、

それ以外にはあまり熱を持てない。

 

 

勉強したい・大学に行こう!と思ったのも、

人に役立てたい、

もっと多くの人にこの病気のことを知ってもらいたい

という気持ちが大きかったからだから、

今そういう感情が全くなくて、

大学で勉強する意味をこれまで以上に感じ、

動機を再度燃やすにはどうしたらいいかと

こまってはいるんだけど。

 

自分にたくさんのものが不足している

不安に駆られることが少なくなったから、

自分を埋めるための表層的な向上心がなくなった。

 

具体的な目標はない。

強いて言えば、この健康を維持してこれから

生き抜く術を学んでいきたい、というくらい。

 

 

でも、夏休みだし、

まだ薬飲み始めて一ヶ月もたってない変化だから、

これが長く続くわけじゃないと思って

とりあえずはいいかな。

 

「全てが一度に解決するわけじゃない」

って知人に言われました。

その通りだと思う。

 

一つ何かが変われば、

またそれに付いている何かが変化して、

そうやって絶えず変化の中で懊悩していくのが

人なのかなあと思うし。

 

「病気の症状がおさまり、

平穏な暮らしができ、

全てに活力があふれていて、

なんでもできる!

超人的!」

っていう薬じゃないもんね。

 

(とはいえ、こんな風に自分の感じたことや変化を

ブログという形で表している分、

誰かに自分をもっと知ってほしいと思う欲求はまだあるんだね。

でもこれも、前ほど強くないなあ。

人に見せる前提で書いた方が整理できるからそうしてるけど、

結局誰よりも自分のためと思って書いてる。)

 

 

 

自分に安心でき、前より自分が好きになった

 

→ 好きになったというか、

なんだろう、嫌いになる時間を

意識的に減らしたことで、

自分をよりフラットに見つめられるようになって、

いろんな自分がいることを許せるようになった。

受け入れたのかな。

 

そうすると、嫌いってわざわざ思う必要ないし、

自分に価値がないと悩みすぎることもないし、

自分が自分の作った安全地帯にいられてるので、

ここが好きだなあという感覚。

 

これも、薬が作ってくれた状況と、

自分なりの行動の結果かなと思う。

 

 

 

 

 

 

【変わってないこと】

 

 

諸々の欲がなくなった

 

→向上心とか、食欲があまりないのは薬を飲んでからだけど、

性欲やら、好きなモノに対しての愛情とか、

そういう熱い情になるようなものが、

おしなべて冷めた。

 

音楽一つにしても、

聞くだけで疲れてしんどい時期もあったから、

ちょっと避けた時期もあったり。

最近またようやく聞けるようになったんだけど。

 

なくなったというより、減ったね。

完全に全てがないわけじゃないけど。

 

だからこれは薬を飲んだことで

全てそうなったとはいえないこと。

 

 

死を未だに身近に感じる

 

→昔からなんで、これはもう癖なんだろうなあ。

 

平穏が訪れたからこそ、

向上心がないからこそ、

「じゃあ今死ぬのが一番いいかもなあ」

とかは考える。

 

ただ希死念慮とは違うし、

切羽詰まってそう思うわけじゃない。

だから問題視するようなものでは全くないのだけれど。

 

でもこの、すぐ「生」か「死」かという

極端な思考はやめないとなあと思う。

今まで恋愛とかもそうだったし。

「始まる」なら「終わり」にするという。

 

このあたりはこれからの課題かな。

 

 

 

自分を大切にする努力

 

→これはもう病気になった時から

ずっと考えていること。

 

今に始まったことではないけれど。

大切にするという思考が

どういう行動になったかの違いだけだと思う。

だから、ここを考え続けているのは不変。

 

言ってしまえば

病院に電話して足を運んで

診療を受け、薬をもらい、

毎日欠かさず飲み、

医療費の為にと普段節約していることとか、

そういうのも自分を大切にしていることなのかなと思う。

 

お金のことでいうと、

お金を使うことも、節約することも、

自分のためなんだなあと最近ようやく気づきまして。

 

節約っていうと

辛いイメージしかなかったけど、

限りある範囲内でどこを節約するかって、

結局はどこにお金を使うかってことだから、

自分が大切にしているものにお金を払う為には

どうすればいいのかという、

思考や物の断捨離に通じるところがあるとわかった。

 

お金を大切に扱うってことは、

自分を大切にするってことに繋がるんだなと思う。

 

 

そんなわけで、

自分を見つめる中で、

思考を張り巡らせて

いろんな行動をしたり、

毎日実験のように自分で自分を生かす術を

絶えず探しているのは、薬とか関係なく

ずっとやっていることかなと思ったので書き記した。

 

 

★★★

 

 

 

まーた長くなってしまった。

ここまで読んでくれた人自分以外にいるのかな…。

 

いつかこういうの研究で使うのかな〜。

うーん、というか、ちゃんとそういう研究するのかしら、私。

 

 

ま、何かの役に立つといいなと思うし、

自分にとっては大切な記録です。

 

これからどう変わっていくのか、

それも楽しみで。

 

 

最近の日課は、

家計簿をつけることと、

日記を書くこと、

アプリを使って心身の変化を記録すること、

など。

 

その分Twitterの使用量が極端に減りました。

フィードみるのなんて、1週間に1分もないわ。

人は変わるねえ。

というかアプリは人ベースなんだから、

人の行動が変われば必要とする物も変わるし、

そういうもんかな。

今はTwitterはシェアとか、

思考の言語化での使用のみですし。

(この先はTwitterが有益になる学生生活を送りたいけどね。)

 

 

今やってることは

「やらなきゃ!」

って思うことだけど、

苦ではないし、

記録をする自分は今は好きなので、

楽しいです。 

 

 

夏休み、とことん自分から学んでやるぞ。

 

 

セロトニンとかレプチンとか視床下部とか

なんだかそういうあたりに詳しい人

そういう話が好きだという人がいたら

いろいろ教えてください。

抗うつ薬から学べること(1)

現代医療なんかが

何を助けてくれるんだろう、

医師だって全然わかっちゃいないし、

臨床心理士さえもこの病気を知りやしない。

 

ずっとそう思って、

約10ヶ月ほど、病院というものから離れた。

 

でも、

とうとうカウンセリングだけでは

足りない瀕死状態になって、

新たに病院を探した。

 

そこでもらった薬を飲んだおかげで

最近はとても落ち着いているのだが、

数人に薬について心配された。

 

 

何をそんなにみんな心配してくれるのかと

話を聞いてみると、

 

・副作用があること

・薬の力に頼りたくなること

 

らしい。

 

副作用はまぁ、仕方ないと思っている。

これは薬のせいというよりも、

過去に私が薬を大量に服用したことがあって、

どの抗鬱薬を飲んでも

その時の感覚がついてまわってしまうのである。

 

体にトラウマのようにちょっと染み付いてるのが

呼び起こされる感覚になるからだと思う。

死のうとした罰かなと個人的には思っている。

(なんか、こういうこと書くとあれかなあ。

読んでくれる人の気分を害すのかな。

メンヘラっぽい?メンヘラって言葉もあんまり使いたくないんだけど。

でも別にそういうつもりじゃないんだ、

過去のことだし心配してほしいわけでもないし。)

 

 

 

薬の力に頼りたくなるというのは、

薬が合っていただけに、

「これから、少しずつ薬を抜いていく段になったとき、

少しでも不安を抱えたときに、

その薬を頼ってしまうことになりそう。」

と言われたこと。

 

ははぁ、なるほど。

 

「今は、多幸感があるし決断力が鈍っているから、

そういう想像ができないかもしれないけど。」

 

確かに落ち込むことは減ったし、

将来に不安を抱えることはあっても

そこまで気にならなくなった今だから、

薬に信頼を置いた、というか

現代医療への信頼感が増しているが、

薬がないとまたダメになるのかもしれないという不安が

そこまでなく、仰る通り想像できない。

 

でもだからこそ、

そうなる可能性もあると覚えておいたほうがいいとは

思っている。

 

たぶん、ここで気を付けなければいけないのは、

「大丈夫だ」と勝手に判断して、

お医者さんに行かなくなることだと思うので、

そこは気をつけよう。

 

 

まぁ、そういうこともあるらしいから、

薬に全信頼を置かないためにも、

薬を飲むようになってから

変化した今の状況・不変の状況をまとめてみようと思う。

 

 

 

 

【変わったこと】

 

・その時の自分に必要な食事量がわかるようになった

・過食の衝動が皆無

・自罰思考が減った

・諸々の欲がなくなった

・体がだるい

・睡眠4,5時間で起きるようになってしまった

・不安が長く続かない

・自分に安心でき、前より自分が好きになった

 

 

【変わってないこと】

 

・諸々の欲がなくなった

・死を未だに身近に感じる

・自分を大切にする努力

 

 

 

これらをちょっとだけ詳しく考えてみようと思う。

どれが薬のおかげなのか、

その中から薬がなくても学べることはなんなのか、

どれが自然な変化なのか…。

 

 

ということでまた長くなりそうだし

調べながらやりたいので次の記事に続けることにする。

 

 

 

 

ありがとうございました。

ここ2週間、

新たに処方された薬を飲んでみたら、

それがものの見事に効いた。

 

 

今までにも2,3種類の抗鬱薬を飲んだが、

特段変わったとも思えず、

むしろ体がだるくなって、

勉強や仕事に支障が出たために、

抗鬱薬など信用できなかった。

 

「本当にこんなもので変わるのだろうか」

といつも思っていた。

 

今回は、

服薬は最低限にしたいと伝えた上で、

これまた半信半疑で飲み始めた。

 

これがまあ症状をよくしてくれて、

一つ前の記事にも書いた気がするけれど、

ようやく、自分が自分を取り戻したような感覚がした。

 

だるさの副作用はまだ続いているけれど、

食事の面で言えば、

2年半ぶりに「私が食べている」という実感がある。

 

 

このことに、いろんな思いを馳せている。

 

もちろん喜びが何よりも強い。

食事に飲み込まれていた日々からようやく抜け出し、

自分が食事と対等、もしくは優位にいるという

久々の感覚に、大きな幸せを感じる。

 

でもそれと同時に、呆気に取られた。

 

「今まで悩んできた日々はなんだったんだ?」

と思うほど、薬が瞬時に治してくれたから、戸惑うのだ。

 

それに、今までも何度も「治った」と思いこんで

裏切られることがあったから、

薬が効いてくれているとはいえ、

今の落ち着きがちゃんと続いてくれるのかという不安も

なくはない。

 

だから、手を抜いていいのか、

手の抜きどころをどこにすべきか、

正直まだよくわからない。

 

 

 

今のこの状況は

嬉しいことなのに、

なぜか手放しで喜べない。

 

苦しみは抜けたが、 

今度は怖くなった。

 

ブログさえも思うように書けない。

 

 

自分がわからない。

 

 

 

本当は、

自分なんてわからなくていいのだと

最近は思うのだが

(わかろうとするから辛い?わかろうとする方が傲慢?)、

自分の中にあるこの気持ち悪さを

どうにか言語化して、見えるようにしたいのだ。

 

 

 別に自分というものの全てを知りたいわけじゃない。

 

 

 

喜びと共に存在し始めたわだかまりを

理解したいのだ。

 

 

このわだかまりって、

なんなんだろう。

ここ数日、そんなことを考えていた。

 

 

 

★★★

 

話は一旦逸れるけれど、

自分がわからないことに恐れつつ、

自分なんてわからなくていいとも思えているのは、

それこそここ1週間のことだ。

 

今まではずっと自分をわかろうとしてきた。

そうでないと病気になんか立ち向かえないと思ったから。

でも探そうとしてもよくわからなくて、

結局自分は病気に支配されているんだと

頻繁に絶望しては、自分を責めていた。

 

 

でも、抗鬱薬を飲み始めてから、

抑うつ症状も軽減されたおかげか、

自分を責めることに時間を使わなくなった。

 

 

理解したい自分を

理解できない自分がいることに冷静になれた。

 

 

これが薬のおかげなのか、

それともこれまでからの学習の結果なのか、

どちらかと言われるとよくわからないけれど、

多分どっちもうまくタイミングが合ったんだと思う。

 

 

自分を痛めるくらいの高すぎた目標や理想を見つめ、

そうでない今の自分や、

それに遠ざかった現状を責めることが、

自分のお尻を叩いているならば良かったが、

自分への不信感と、疲労と無価値感が増しただけだったから、

このやり方は今の私には合っていなかったんだと

ようやく気づけた。

 

夢は、まだ、ふんわりと持ちながらも、

「こうでなきゃいけない」を弱め、

まず今の私を楽しい思いにさせてあげることだけに

注力してみようと思った。

 

 

それに、薬の副作用のおかげで

体に力が入らず、

普段やれるような着替えや家事、

外に出て歩くという行為でさえ

とんでもなく労力がかかるようになって、

「もう頑張れない…」と思うところに達した。

 

「頑張れないから頑張らなきゃ!」と思うのも疲れ、

「頑張れないならもうそれでいい」と思えるようになった。

 

1日に予定がふたつ入っていた日があって、

その予定の前に歯医者の予約の電話を入れようと思うも、

たった電話をかけるだけなのに、

体がまったく動かない。

考えると憂鬱になる。でも歯を診てもらいたい。

 

結局がんばれないと思った私は、

「1日頑張るのはふたつまでにしよう」

となんとなく決めた。

だから、歯医者は他の日に回して

今日もともとある予定を遂行することだけを

頑張ることにしようと思った。

 

そしたら気分が晴れて、

頑張ろうとしなくても外に出られたし、

なんとか歩けた。

 

 

普通ができない自分を認めて、

甘やかすことが、

こんなにも気分をよくしてくれるなんて、

知りもしなかった。

 

今までは、知りたかったけど、

それじゃいけないと思った。

人一倍頑張らないと、普通にはなれないと思ってたから。

 

 

 

できない自分とか、

人と比べようのない自分、

それに思い通りにならない現実を

私はいつもコントロールして、

うまくやり過ごそうとしてきたんだと気づく。

多分、恋愛もそうだった。

 

自分も相手も痛めつけるような、

そんな自分だったことを知る。

 

 

ああ、恥ずかしい。

 

私は私が嫌いなフリをして、

自己保身のために、

なんでも手中に収めてしまおうと思っていた。

 

だから予測不能なことには立ち向かえない、

とても幼く弱い人間だ。

 

 

※別に責めてはいない、

冷静に判断してこう思う。

 

 

だから私は

人と比べた上で

自分が人並みになることとか、

普通になることをやめ、

まず自分の思う強さを身につけ、

最低限社会で生き抜ける自分にするために、

まず自分をいい気分にさせてあげなければならないと思った。

 

強い自分にしてあげるためには、

自分を安心させる必要がある。

生きていてもいいと、自分で強く信じる必要がある。

 

 

★★★

 

 

これまで、私は自分が生きていたことの

間違い探しをしているような感覚だった。

 

すぐ自分を責めるし、

何かあると自分が悪いと思ってしまう。

 

満員電車で自分の存在の申し訳なさを感じ、

勝手に心を痛めた。

 

生きてるだけが落ち着かなくて、

恋愛したって、いつも心のどこかで

付き合っている罪悪感を感じたり、

日常で悪いことがあったり

何かやらかしたと思うとすぐに

「ほらね、だから私はダメでしょう」と、

自分が生まれてきたことは間違い、

という証拠ばかりを揃えようとしていた。

 

 

 

そういった考え方を改め、

もっと自分が楽になることを許した。

自分はこの自分でもいいということにした。

 

許したら、体も心も緩んで、

鬱も日に日に改善されていっている、

気がする。

 

 

★★★

 

 

さて、話を戻し、

一応、まだ二週間程度の経過であり

これから何があるかはわからないから、

完治したとは言わないでおくが、

鬱と摂食障害が落ち着いてから出てきたわだかまり。

 

 

 

長いと思って耐えていた

暗闇から急に追い出されて、

眩しくて外の世界をうまく見ることができないような、

そんな感覚に近いのだと思う。

 

 

 

 

もやっとしたものの正体を紐解くと、

 

「これでいいの?」という不安

抜けた私は何になれたんだろうという疑問

大学進学の目的が思わぬところで達成されたあっけなさ

病気のない状態が実に2年半ぶりなので自分に不慣れ

これからどう生きていくのか見当が立たぬ現状

 

などがあると思う。

 

 

 

「これでいいの?」という不安

 

→自分で言うのもなんだが、

病気でいた期間、本当に苦しかった。

辛くてたまらず、なんども生命の危険を感じた。

自殺は心の寿命という言葉に理解を示すほど、

その行為はもはや身近なものに思えた。

 

そんな苦しみがポッと消えた。

 

へ?そういうもの?

こんな簡単に抜けられちゃうもの?

もう頑張らなくていいの?

 

子育てと少し似てるのかな。

子供が育ったら、

もうその子に子育てする必要はないし、

その日々には戻れない。

いろいろあったけど、巣立ったら巣立ったで寂しいような。

 

寂しいといってももう戻る必要はないから

絶対に戻らないけれど、

こんなにあっけなく子供って大人になってたの?

みたいな。

よくわからないですかね、すみません。

 

今まで頑張ることしか知らなかったから、

頑張らずにこうなったことが

未だにまだ掴めない。

 

でも、何もしてないわけじゃないよと

友達に教えてもらった。

 

ああ、そうか、

病院に行って、薬をもらって、

ちゃんと毎日飲んでいる。

 

何もしていないわけじゃないな。

治ろうとしてここに辿り着いたってことか。

じゃあこれでいいのか。

 

 

 

 

抜けた私は何になれたんだろうという疑問

 

→正直、こんなにも辛い試練(病気)を乗り越えたら、

なんだか新しい自分になれていると思っていた。

 

うつる世界も薔薇色に見えて、

一皮どころか幾層もの皮が向けて、

強くてしなやかな大人の女性になれていると思ってた。

というか、そうなれることを信じて

生きることを諦めなかった。

 

でも、劇的な変化が起こったわけじゃない。

 

心は穏やかになって、この世界で生きるには

ずいぶんマシな心持ちをしているけれど、

視界が突然明るく見えたわけでもない。

地続きの日々は変わらない。

 

病気を経験して、

あっという間に薬が効いて、

今や病気とはほとんどお別れした感覚の私は、

果たして本当に成長し、

試練を乗り越えた自分なんだろうか。

 

頑張った自分は、

病気と一緒にどこかへいってしまったような、

そんな気もしてしまう。

深刻に悩んでいるわけではないのだけれどね。

 

 

 

大学進学の目的が思わぬところで達成されたあっけなさ

 

→今年になって大学進学を志したのは、

勉強したいと思ったからで、

そしてまた語り合う仲間を増やしたかったから。

 

勉強したい理由はもちろん

病気を治すためだった。

 

複合的な問題を解決しなければ

病気そのものは絶対になくならないと思っていたから、

それまでも自分なりに勉強していたけれど、

もっと多様な知識を身につけ、

より良い治療法を編み出したいと思ったし、

ラジオの影響で、考えを深めるだけではなく、

語り合う仲間が欲しくなった。

 

以上の二点を考えると、大学という場がもっとも適切だと思い、

そういえば私は高校三年生で受験というものを経験していないし、

いっちょやってみるか、という気持ちで望んだわけだけど。

 

もっと勉強して、

自分と誰かのために役立てるぞ!

と意気揚々になっていたもの(大学生活)が

鬱になって計画が頓挫し、

その道中で計画そのものの目的が達成されてしまった。

 

せっかく大学に入ったのだから、

病気の治療以外にも、

女性として、

働く人として、

(将来)お嫁さん(になる)として、

ためになる知識を身につけたほうがいいだろうと思うが、

第一の進学理由がなくなり、

ちょっとだけ自分を見失っているのかもしれない。

 

やりたいことがわからなくなったというか。

 

 

 

病気のない状態が実に2年半ぶりなので自分に不慣れ

 

→病気になってからというもの、

病気を治すということが人生の生きる目的になっていたし、

それだけに情熱をかけてきたし、

そればかりを見てきたから、

「普通の人って何に悩み、どう生きているんだろう」

とよく気になった。

 

それまで病気と戦っていれば生きていることになっていたけど、

それがなくなった、なんでもない自分に会うのが久しぶりすぎて、

どう接したらいいのかわからない。

 

もはや、病気になる前の19歳くらいから、

病気のない自分は実は成長していなかったのかも、と感ずる。

 

周りの人が生きてきた2年半を、

私は自分の病気に捧げてしまったから、

新しい自分か、それとも昔の自分かわからないが、

今、病気のあった頃とは確実に違う自分と会って、

何をしたらいいのか、

何をさせたらいいのか、

よくわからなくなってしまった。

 

 

 

これからどう生きていくのか見当が立たぬ現状

 

→自分を苦しめる何かから自由になりたいと思った。

夢を見ることが、自分を苦しめるなら、

一旦離れようと思う。

 

だけど、夢のない自分は、

果たして何を頑張ればいいの?

 

いや、頑張るのは一時休止にしているけれど、

この先、何をして生きていくの?

 

2年半、頑張った部分が

病気と一緒にごっそり抜け、

全く成長していなかった自分が

今更21歳だよと言われ、

病気の私が作り出した今の環境を、

やり過ごすことができるのか?という不安もある。

 

病気と一緒に、

それまでの生きる情熱とか希望が、

一緒に消えて、

というか消えたことにできちゃって、

新しい自分でどう進んでいくのか

見当もつかないし、

当分の目標もないので覇気がない。

元気にはなったけど。

 

これまでの病気の自分が作り出した環境で

新しい、それを知らない自分が生きなきゃいけないのは

どうも息苦しい。

 

私は本当にここにいていいんだろうか、

ここにいたいんだろうか、

ここでしたいのはなんだろうか、

とそういった自問自答が繰り返されるのである。

 

 

★★★

 

 

書いていて、気づいたことがある。

 

自分を生きることになったのだ。

だから戸惑うし、慣れない。よくわからない。

 

たぶん私は、母親の影がずっと心に潜んでいた。

 

夢や目標は、

もちろん本当にそうなりたいと思うものかもしれないが、

母とは違う人間になるためということを意識した上でだったし、

自己否定は、

母にとやかく言われ、傷つく前にと予防線を張った上での思考だった。

 

 

そういう、自分を辛くさせていたものを取り除いて、

あんまり気を張らずに、

楽しい気分でいることを自分に許せた一週間前から、

自罰思考は減ったけれど、

それと一緒に、

夢を持つことにそれほど情熱がなくなった。

 

ないと言えば嘘になるが、

あると今は自分を苦しめるので、

持たないようにしている。

 

 

先ほど子育ての例を出したが、

私はずっと親離れをしたいと思いつつ、

できていなかったんだ。

今はもう戻らなくていい時期、

飛び立っていい時期なのか。

 

 

急に自分の足で立つ感覚を持つということは、

母の呪縛や母のプレッシャーを

前ほど感じない(ようにしている)ということに近い。

 

けれど、

やっぱり今までで構成された

母の影響とか価値観は強力なものだから、

自分を作る自分の全てがちぐはぐな気がして、

心許ないのだろう。

 

 

わかろうとしているわけじゃないけれど、

自分がわからない。

 

書いていて、

「あれはこうなんじゃないか」

「これはああなんじゃないか」

とたくさんの思考が思い浮かび、

うまく言葉にまとめられたかわからない。

 

自分の脳で考えていることのたった3割くらいしか、

うまく言語化できなかった。(もともとうまくはないというのは置いといて)

 

書いていてももどかしい。

考えても、書いても、やっぱりよくわからないままだから。

 

 

 

 

でも、いつかこのブログを見返して、

「こう思っていたのが、成長したなあ。」

と思える地点にまで行けることを願う。

 

 

★★★

 

「喉元過ぎれば熱さを忘れる」ということわざを

私は昔から強く意識していた。

 

熱い感覚は過ぎさっても、

その時感じた思いだけはなるべく忘れないようにしたい。

そう思ってきた。

 

だから、今もこのよくわからない状態を

まとまらなくても書き記した。

 

生きている証として。

未熟な証として。

 

 

私はこれからどうなっていくのかって、

考えても正直仕方がないと思うし、

どうしていきたいか、あまりコントロールするつもりはなく、

流されていきたいと思いつつも、

今までそう生きてこなかったから、

よくわからないんだ。

 

深刻に悩んでいるわけではないが、

生き方ってどんなものなんだと答えを求めたくなる。

 

でもその「わからない」も含めて

不安を感じすぎずに

「それも私」と思って

とりあえず生きてりゃいいのかな。

 

 

 

いろんな悩みや葛藤を忘れず、

人の痛みに寄り添い、

生を肯定できる人間でありたい、

その思いだけは未だ強くある。

 

何になりたいとか、

どんな肩書きになりたいとか、

そういうことよりも、

まずその自分の持った哲学だけを大事にしてみるか。

 

 

これから夏休みです。

 

今はとりあえずゆっくり休んで、

動きすぎず、

適度に動き、

これからの学生生活を乗り切るための方法を考えつつ、

好きに生きてみます。

 

好きに生きるって、

お金ないと結構難しいんですが、

一瞬一瞬の思いや選択をフラットに抱えて、

その時々を楽しむのが好きに生きるってことかしら。

 

 

まぁ、

まだ完全に病気が治ったとは言えないと思うので、

様子を見ながら、ゆっくり進みます。

 

 

 

でもやっと、

友達に「元気?」と聞かれて

「元気」と答えられるようになりました。 

 

今までは元気じゃ嘘だから「まぁまぁ」と答えるしかない自分を

不甲斐なく思っていた。

そんなこと、思う必要なかったのにね。

それはそれで精一杯だから仕方なかったし。

 

 

ま、生きててくれてよかったよ。

新月の日に、何もないとは思わない

双極性も鬱も、

「できる」と「できない」の

波があるんじゃなくて、

本当はどっちも「できない」が同じで、

気分が良い・調子が良いと感じる時は

落ちた波の時よりも少し冷静に物事を考えられる

くらいなんだろうなと、

ようやく気付いた。

 

「治った」「治ってない」の

波に翻弄されていたけど、

そういうことじゃないね。

 

どう言うかは人によって様々だけど

フィールドとしては、

「できない」

「治ってない」

「本来の自分ではない」

「頑張れない」

という中での波だから、

ちょっと気分が良い時に

「(本来の自分に)戻った」と結論づけて

頑張りすぎて物事を進めるのはよくないなぁ。

私にはね、良くなかった。

なのにずっとそのやり方で

うまくいっては倒れてうまくいっては倒れて…。

 

 

できる時に調子乗るんじゃなくて、

できない自分とか、

人と違う・人より劣っている自分がいることを

もう諦めて、

その範囲で自分ができることを考えて

行動にうつすくらいでいいのよ、きっと。

諦めることと卑屈になることは違うしね。

 

 

人と同じように大学生活終わらせられるかな、とか

働くまでが伸びちゃうな、とか

いつまでこうしているんだろう、とか

焦りももちろんあるのだけれど、

焦ったからとして何かができるほど

自分に力がない今だからこそ気付いたこと。

 

出来ない自分で

無理せず出来ることをやっていくしかないよね。

 

あんまり自罰的になるのもさ、

傷つかない予防線にはなるけど、

不幸な思考に取り憑かれてるだけだなと思って、

そんなことに力を入れるのもやめて、

なるべく幸せな気持ちでいないと、

自分で自分を不幸にして

その不幸にしがみついてるみたいで、

だっさいなぁと思った。

 

悩みは、越えて幸せを迎えにいくまでにある

ただの壁なのに

その壁が本体だと思って

そこにずっとしがみつくのが

自罰思考だね。

 

自分で自分を不幸にするの

本当にバカみたい。

でも不幸を感じたからこそ気付けたこと。

 

 

 

 

 

大人になると、

出来ないことが増えるというか、

出来ないとわかることが増えていって、

それが悲しいと言っていた人もいたけど、

自分の出来ることと出来ないことが

明らかになっていく中で、

出来ないを諦めて

出来るを伸ばす。

 

そのやり方を探していくのが人生なんじゃないかと。

 

出来ないを諦めるまでの葛藤が

思春期とか青年期で、

出来るを伸ばし、

それが個性と言えちゃうのが大人の楽しさで、

本当に自分の個性を活かす楽しさを知るのが、

生きる幸せなのかな。

 

 

今は、

生きるために生き延びている感じで、

1日1日を、

ただ終わりが来るのを待つように過ごすのは

数ヶ月変わっていないのだけれど、

でも、そんな中でも

こういう気づきがあったり、

お金貯めようって思って行動できたり、

家計簿つけるのが続いてたり、

旧来の友人のありがたみに感謝できたり、

少しずつ学んで、

少しずつ学びを活かす行動をして、

決して無駄ではない日々を送っていると、

そう感じられるようにはなりました。

 

 

 

新しく通った病院でもらった薬のおかげで、

最近は症状が出るどころか、

食事と対等に付き合えていて、

例えそれが一週間ぽっちの成功でも、

「こんなに幸せなことなんだ」と思います。

普通のありがたみに気付いてる。

まぁ薬のおかげで体に力が全然出なくて

本当に歩くのもやっとなんだけど、

でもきっとそれにも徐々に慣れていくだろうし、

病気との付き合い方とか、

ひいては自分自身の付き合い方に

もっともっとうまくなっていけたら、

すごく嬉しいな。楽しみだな。

 

 

 

獅子座の新月です。

胡散臭いかもしれないけど、

お願い事書くといいですよ。

いいですよったのは、叶いますよってことより、

少しでも心がワクワクすることがあるのはいいですよ、ってことです。

お願い事を書くのは楽しいです。

希望があるということは、生きる糧があるということですから。

 

でも希望を心の糧にできるというのも、

簡単なことではないから、

今そう思えている自分に喜ぼう。

特になにもない日

うーん

力が入らず

いろんな動作が鈍くなる

 

普段やれていた一つ一つの行為が

自分を生かすための大事な行為であり

結構力がいるもんだなと気づく

 

書きたいこともっとあるんだけどなあ

本当に手が進まず

これを書くのも普段の何倍もの力を必要としちゃうな

 

結構そういう時ってつらいもんだね

 

 

周りに鬱をはじめ

精神疾患の診断をもらってくる人が

増えていて

みんなこういう瞬間を

なんとか生き延びてんのかなあと思うと

早くみんながよくなって幸せになってくれないかなあと

そう願うばかりです

 

 

 

綺麗なものを

綺麗だなって思うことも

案外疲れるもんで

そう思えない日もあるね

でもやっぱりお花って綺麗なんだけどね

 

 

もうちょっと経って元気になったら

最近考えていたこととか

言葉にしたいことを

ブログにまとめられたらいいなあ

 

 

恋しいよ

愛しい人とか、普通の日々が

生きてるだけでいいって思えない

 

生きるためには何かしていなきゃ

自分に価値がないけど

人にいい気持ちしてもらうのも

大学ちゃんと行くのも

ちゃんと単位を取るのも

まともに働くことも

友達作りも

全然できない

 

何もできないけど

生きてるだけでいいなんて思えないから

もう生きてちゃいけない気がしてしんどい