病気が、おもしろい。

今日は、記念すべき日となりました。

 

このところ、

ようやく自分が自分であること、

自分の人生を生きることが楽しくなってきたな、

と思うようにはなりましたが、

今日はなんと、

病気になってから念願だった、

「病気になってよかったな」

と思うことができた日でした。

 

けれど、

この言い方をすると少し誤解を招く恐れがあるので、

しっかりと説明させてください。

 

なにも、摂食障害という病気を賛美したいわけでも、

この病気自体を肯定するつもりもないし、

もちろん病気になることを推奨するつもりはさらさらありません。

 

この恐ろしい難病に

自分がとりつかれたと失意の底にいた時、

何が何でも、

「それでもこの病気になってよかったと思える日がくるように」

と、そればかりを希望に生きていたから、

本当にそんな日が来るなんて、

夢みたいで。

 

私にとっては、

まだまだ完治とは言える状況にないかもしれないけれど、

それでも、

そんな状況にいなくても、

病気になってもよかったと言えるまでに

成長できた自分が今ここにあることが、

とても嬉しいのです。

 

 

★★★

 

今日、

12歳の頃から6年間通い続けた

中高の同級生と会いました。

 

殆ど4時間ほど、

夢中でお互いが思ったことを話し続け、

ずっと私たちの周りはスパークしているようで、

熱はずっと迸っていて、

とても自由で開放的で精神的でかつアカデミックな、

深い深い様々な種類の話し合いをしました。

 

もちろんその話し合いの中には

私の病気に関する話や

お互いの健康の話などもありました。

 

病気になりたての頃から、

フェイスブックで病気でカミングアウトをした後数ヶ月までは

考えられなかったけれど、

最近はもう割と摂食障害や自分のことについて話すこと、

相談することにほとんど抵抗がなくなりました。

 

ありがたいことに、

偏見なく聞いてくれる、

わからなくても受け入れてくれる、

愛情深く聡明な友人が多いため

非常に話しやすい環境に恵まれ、

今日会った友人も、

私の最近の症状やそれらからの発見・興味・関心などを

私と同じ感度で共に面白がってくれ、興味を持ってくれました。

 

それが、

とても嬉しく、新鮮に感じられました。

 

自分が経験した病気は、

自分がそこから得てきたものを伝えることは、

無駄じゃないんだな

誰かには面白いものなんだな、と。

 

今はまだ学術的にまとめられなくても、

その面白さが、

どこかにワクワクする要素があるだけで、

すでになにか価値があるような気がして、

楽しくなってしまいました。

嬉しくなってしまいました。

 

 

この病気は奥が深い。

全然わからない。

難しすぎる。

だから今でも悩ましいけれど、

ようやく向き合えるようになってきた。

 

だけど、誰かじゃなくて、私でよかったと、

そう思います。

そういう意味でも、この病気になってよかったです。

私でよかったです。

 

なんで私がってなんども思ったけれど、

面白がれるようになったら、

とことん面白がるしかない。

 

被験者も研究者も自分なんて、

こんな面白いことがあるなんて。

 

摂食障害の自分を研究するのって、

本当になんか、人間じゃないなにか別の生物を見ているみたいで、

不思議な気分です。

 

私は今東京喰種という作品と

摂食障害をくっつけて見てハマっているんですが、

それこそ自分は喰種になる時間帯が来る時が来る感じです。

人は食べないですけど。

人は食べないからもっとこのあたりうまく説明できるようにしますけど。

このあたり、ようやく夏休みの初めに羊たちの沈黙にハマったのに繋がってきた気がする。本当に、楽しいよ最近は。

 

 

病気になってよかった、というより、

病気が面白い。

病気を面白がれて、よかった。

 

 

咀嚼に関する記録2017秋

タイトルとは関係ないですが、

昨夜、大好きなバンドのワンマンライブに行きまして、

もう本当に最高でした。

 

一曲目から大好きな歌が来て、

私のためのライブかと思いました。

最近はとてもポジティブです。

この感想とか、自分のために

忘れんようまたまとめときたいです。

 

 

★★★

 

ここから先も自分のための記録です。

 

この二日間、朝ごはんがほとんどお菓子でした。

 

昨日なんて、

言ってしまえば

それ一食のみでした。

 

今日はどうなるか知りませんが、

昨日は午前中に食してから

ずっとそれが持ってくれたので、

食べる必要性も感じられないし面倒でそのまま寝ました。

 

で、今日も

まぁ栄養を考えて鮭食べたけど

結局お菓子食べて幸せになったら

鮭やめてお菓子がメインになりました。

 

最近はお菓子が大好きです。

 

よくないのかもしれなくても

普通に好きだと言っちゃう。

 

そこにはいくつかの理由があって、

それをまずはっきりさせます。

 

 

①お菓子は大抵、咀嚼が楽

→最近の私にとって、

口内から食道を大きく通っていくものは

苦痛で仕方がないのです。

飲み込むという行為は

エネルギー量を多く必要とすることが

最近わかってきたため、

できるだけ飲み込みたくもない。

で、咀嚼が楽しめた頃はいいんですが、

最近その咀嚼自体面倒というか、

もう疲れてきてしまったので、

(いやこんなこと言ったら「若いくせに」とか

多方面から怒られそうなんですが)

お腹は空いてもなるべく

疲れることはしたくなくて、

そうなると、これまでの食事が疲れるんですよね…。

 

ということで、お菓子が手軽で楽なので

そっちばっかになってしまいました。

 

でもだから余計に力がなくなるんですよね。

 

書いてるうちに整理されると

自分でも気付けて良いですね、やっぱり。

 

 

②甘いものが好き

→もともと甘いものは好きです。

 

これは、変わりませんね〜。

 

好きは好きです。

食べ過ぎて気持ち悪くなったら

その瞬間は嫌いになりますけれど。

 

でも、最近は、

元気がないというか、

力がどうも出ない、

脳が働かない、

元気がないからこそ、

甘いものをまず食べて

一回体を起動させないと…という

思考に入ることが多いので

あまりよくない気がします。

 

いい栄養状態にないことは確かだろうし、

だから栄養とか最低限学んでおきたいのだけれど、

頭がはっきり動くような、

学べるような状態でもないのがちょっと残念なところで、

意欲はあってもそれに追いつく体や脳の状態にないのが

今の問題点な気がします。

 

ということでこのお菓子問題はなんとか

しなきゃいけない気がしますね。

 

ちょっと病院行って相談するか。

 

なんかまたわかって

誰かにシェアできるような面白い発見があったら

いいなと思っています。

 

 

生きるのは疲れるけど、

死にたいとは思いません。

それはなんて幸せなことなんだろうとも思うし、

これが当たり前なんだろうなとも思いますね。

 

当たり前が幸せと思えることが

とてもありがたいです。

見えないこともないんだな

今日、久しぶりに

病気に引き戻されて、

すごく戸惑ったし、

悲しくて、悔しかった。

 

 

もう終わったと思っていたから、

またこんなことで涙を流す自分さえもが

すごく憎たらしくもなって、

久しぶりにまた生と死を見つめる時間がやってきたりもした。

 

 

どうしても

断ち切りたくて、

休める場所に行ったり、

大好きな漫画を読み返したりした。

 

それでも症状は

止めたくても止められなくて、

久々に自分を失い、

またあの尊厳が奪われた化け物になった気がした。

 

この一ヶ月半の好調が嘘みたいに思え、

もう絶望でいっぱいだった。

 

 

だけど、

ちょっとした勇気が、

ちょっと今までと違う行動が、

結果的にいい変化をもたらしてくれた。

 

今までは病気で辛い時、

その渦中にある時は大抵ふさぎこんでいた。

 

人に気軽に言える・理解してもらえるようなものでもなければ、

変に同情を買いたいわけでもないから、

どう頼ればいいかわからなくて、

自分から一番苦しい時に

内にこもっていただけなのに、

いつしかその距離が孤独に変わって、

「私が一番辛い時に助けてくれたわけじゃないくせに」

なんて、

大事な人たちに思ったこともある。

 

親もそういう存在だと思っていた。

 

 

いつ、何をしてくれたんだろうと、

正直ずっと思っていたけど、

憎らしくて大嫌いにもなったけど、

この一ヶ月弱でちょっと仲良くなって、

だから今日はぶり返したけど親にたよってみることにした。

 

本当は抵抗もあって、

そのまま一人になろうと思ったけれど、

せっかくだから、勇気を出して

頼ることにした。

 

 

 

自分の元気がない時、

自分の好きなことをすることは確かに大事だけれど、

もう一つ大事なのは、

自分のことを大切に思ってくれる人、

自分の幸せを願ってくれている人に

会うことなのかもしれないなと、

思えるようになった。

 

人を利用しようということではなく、

人の愛に気づく瞬間を

自分に贈ってあげる勇気を出すこと。

 

今までその選択肢がなかった私にとって、

新たな視野が広がった日になった。

 

 

★★★

 

つい数日前、

夢でフジファブリックを聴いてる自分がいた。

 

その朝、なんとラジオから「若者のすべて」が流れてきて、

この夢と現実のシンクロニシティを体感して、

なんだか生きていることを肯定された気がした。

どころか、祝福された気さえして、

生きる自信が生まれた。

 

それからちょくちょく

ちょっと前のフジファブリックの曲を聴いていたんだけど、

今日はこれの気分。

 

 

★★★

 

見えないと思っていたもの、

存在しないと思っていたもの、

誰かに聞かされただけで見たこともなかったこと、

思いこんでいただけの幻想。

 

 

つい前までは、

学歴ばかり気にしているように見えた

私の母が、

今日久しぶりに調子悪くなった私を見て

「学校が辛かったら休んでもいいから」

と言ってくれた。

 

驚いた。

 

何が何でも学校に行かせ、

ストレートな道に歩むことを望んでいる母だった。

 

寄り添ってくれる母の存在。

その変わりざまに驚いた。

 

 

一ヶ月前、家族と久しぶりに会った。

 

成績表が届く前にどやされたくないから、

私は一学期が散々だったことを怒られたくなくて、

まずは通じなくてもいいからでも伝えておこうと、

 

「ごめんね、一学期は全然ダメだった。

でも、生きてただけでも偉いって思ってほしい」

 

なんて、

親の前で大口を叩いたけど。

 

あの時、私の予想に反して帰ってきた言葉は

「本当にそう思うよ。」

だった。

 

 

この時が私たちの雪解けの瞬間だったと思う。

 

★★★

 

人に自分を理解してもらおうとする努力を放棄して、

ずっとうちにこもって

ひたすら一人で戦わなきゃいけないと

毎日、余計に自分を苦しませていたな。

 

でも、今日は、

ちょっと歩み寄ろうとする勇気というか、

これまでと違う新しい勇気を出して、行動しただけで、

辛かった数時間後にはちゃんと立ち直れた。

 

だから今こうしてブログをかける。

 

自分で自分を励ます言葉をたくさんかけて、

落ち込んだ時に必ず聞く曲を聴いて、

人の愛に触れて、

自分ににっこり微笑んであげて、

好きなものをちゃんと食べたら、

元気になった。

 

 

家族で夕食を囲みながら、

父が

「流れを変えたい時は、食べるのが一番だな」

と言った。

 

 

すごくいい言葉だと思った。

 

そうだな。

 

食べるという行為は、

開運の一歩だと思う。

 

確かに、流れが変わる。

よくもわるくも、とても影響しやすい。

悪い方に影響され続けた二年半だったから、余計に思う。

 

開運の兆しを

不幸の始まりにするのはもったいない。

 

流れを変えよう。

 

ちゃんと、

自分で自分の道を切り開いていこうと、

そう思えた。

 

★★★

 

親と別れて、

感謝のメッセージをあとでおくったら、

父に、「あなたの味方は一杯います」

と言われた。

 

今日はあまり語らない父だったけど、

この、電波で届いた言葉があまりに胸に残った。

 

 

「味方なんていない」なんて思っていたのはずっと自分だけで、

ちゃんとこうやって大事に思ってくれる人がいるんだと、

ひねくれずに素直に受け止められるようになったのは、初めてだろう。

 

 

 

そんなこともなかったよ。

大丈夫だったよ。

 

 

 

家族とか、友達とか、

そういう存在だけじゃなくて、

こうやってブログを見てくれてる知らない人の中にも、

味方がいるのかなって思えたりして、

それで調子に乗るんじゃなくて、

素直に感謝できるようになった。

 

 

今日は正直辛い日だったけど、

おかげでいろいろなことに気づけたし、

自分の成長を感じられたから、

プラマイ0にできた気がする。

 

 

 

夜、シャワーして

自分の体に優しく触れながら

洗うことができた時、

「私はまだ大丈夫だ」って、思ったな。

 

自分に触れられることが、

なんだかとても嬉しくて、幸福に感じた。

 

 

 

 

悔しい

悔しい。すごく。

 

この一ヶ月半、

突如病気から引き剥がされ、

毎日すごく平穏で楽しくて

新たな興味が生まれて、

新しい自分に出会って、

そんな毎日に

ワクワクして、緊張して、

感謝して、楽しくて、幸せだったのに。

 

 

ここ最近

またちょっとぶり返しつつ、

でもそんなに気にしないように

頑張ったけど、

今日また久しぶりに打ちのめされた。

 

悔しい。

 

もう勝ったと思ってたし、

もうあの苦しみは一生来ないと思ってた。

 

悔しいなあ。

ほんと、悔しくてたまらない。

辛いとか痛いとかよりも悔しいね。

生きるよ。

 

感情における鮮度と愛の可塑性

私がTwitterをやめない

いちばんの理由はこれだと思う。

 

鮮度のいい感情を忘れないため。

 

 

★★★

 

感情には絶対に鮮度があると思う。

自分の中から沸き起こった生の感情を

大切にしないと、

何かが汚れたり、くすんだりする。

 

 

自分が感じたことを

長年ないがしろにしてしまった結果、

自分の中から「好き」と「嫌い」がわからなくなったり、

本当に大切にしたかったものを忘れ去ったり、

自分のなりたい人物像からかけはなれたり、

人とのトラブルが増えたりする。

 

 

人間の感情にも鮮度があるから、

それをうまく扱わなければいけない。

でないと、本当に錆びる。

 

人間には情動を抑えるために思考力があって、

もちろんそのバランスをとることは重要だけれど、

なんだか大人になるにつれて、

感情を大切にしないことが増える。

我慢しなきゃいけない状況が増えるとしても、

自分(の感情)を殺すわけではなく、

扱い方に気を払っていくべきなんじゃないか。

 

 

ただ、感情ではないのかもしれないが、

難しいのは、愛の鮮度。

 

感情と違って、

愛の場合は、鮮度が落ちるというものではない気がする。

もちろん、変わりゆくものではあるけれど。

 

この前、テレビでちらっと見たのだが、

爆笑問題の太田さんが

「愛と憎しみは切り離せない、別物ではなくほとんど同じものだ」

というようなことを言っていたが、

私もまさにそのように思う。

 

愛を感じたことのない人間には

憎しみを感じられない。

憎しみが生まれる背景には必ず

どこかのベクトルに愛があったはずだし、

愛は気づかぬ間に憎しみに変わったりするように

私は思うのだ。

 

だから、愛は、

鮮度が落ちるといより、

執着や働かせすぎた理性が

別物に変える可能性のある

とても不安定なものでもある。

 

感情の鮮度や

愛の可塑性について

とても気になるこの頃である。

 

 

★★★

 

 

私の中で、常日頃意識している

二つのことわざがある。

 

ひとつは「類は友を呼ぶ」で、

もうひとつは「喉元過ぎれば熱さを忘れる」である。

 

感情について、

後者の方をすごく意識してきた。

(意識したって忘れないようにすることは

容易ではないのだけれど。)

 

 

痛みや喜びを忘れた人間が

誰かに生きることの感動を共有するのは難しいから。

 

 

忘れないことが、

忘れたくないと思うことが、

大事なんじゃないか。

 

 

(忘れないことは執着とは違う。

むしろ執着は、忘れていると思う。

 

そのもの本体に、

自分なりのバイアスをかけてしまって、

本体を見ることを忘れているし、

実物とは違う何かに取り憑かれているから。)

 

 

 

人と生きていたい。

人と関わりあっていたい。

人として生きていたい。

自分自身をないがしろにせず生きたい。

 

 

だから、

感情も、思考も、

うまくバランスをとって

鮮度を見極めながら取り扱っていきたいし、

愛の不変と変化を観察していきたい。

 

 

8月。

 

今年の8月はもう本当に充実しています。

 

充実といっても、

多くのイベントに足を運んでいるわけでも

派手に旅行をしたりしているわけでも

ありませんけど、

心が平穏でいられる時間が多いと

こんなにも充足感を得られるものなのかと

ようやく自分が自分として生きている

喜びを感じるような日々です。

 

 

今日は手短に思ったことを。

 

一つ目は、

自分が辛い思いをする人間関係は

無理に続けずさっぱりと線を間引くことは

自分が幸せに美しくあるためには

とても重要だといういこと。

 

無理して誰かと付き合って

人の愚痴をいうくらいならば、

無理せず、最低限の礼節を守りつつも

きちんと、自分の大事な、

妨害されたくないスペースを守るために

線を引いた方がいいですね。

 

愚痴をいうくらいなら、というのが重要だと思います。

 

自分で消化できないほどの

怒りや憎しみや悲しみを

与えられるなら、

ちゃんとまず距離を取る。

 

多方面にいい顔していたかった私は

ようやく人間関係の中にも

自分の大切なものを守っていいのだと

思うことができました。

 

 

 

二つ目は、

大切な人の前では、

たとえどんなに忙しくても

忙しいそぶりを見せないことが

大事だということ。

 

それこそさっき書いたことだけど、

ある程度、一時的もしくは半永久的に

距離を置きたいと思う人がいるならば、

その人の前では忙しいということを

ちゃんと主張した方がいいと思います。

 

自分を都合よく使ってくる人とかね。

 

暇だ・自分のためには時間を使ってくれる

と思わせないためには

ある程度の線を引く方法として、

必ず自分のことでいそがしいそぶりを

見せた方が良いと思いますが。

 

しかし、

大事な友達とか、

必ずこの人の力にはなりたいなと

思うような相手の前で

忙しいアピールをしてしまうと、

相手が頼ってくれそうな機会を

自ら捨てているなとわかりました。

 

だから、

どんなに忙しくても、

大事にしたい人、

大事におもう人、

大事に思ってくれている人の前では

いつも

「私はあなたと一緒にいる時間を作りたい」

とわかってもらえるように

していたいなと感じました。

 

忙しくて死んじまいそうな人の前で、

相談なんかできないじゃん。

たとえその人のことが大好きでも、

「こんな自分のくだらない話…」って

つい遠慮しちゃって、

気づいたら距離ができてしまっているのは、

もったいないなと。

 

大事な人を

大事にし続けるには、

大事にできる自分の余裕を作ることが大事だからこそ、

自分を大事にして、

自分を大事にしない人や物から距離を置き、

大事な相手に精一杯の愛を感じてもらう

ように努力することが、

自分にとっても、

大事な人にとっても、

大切なことなんじゃないかと思います。

 

この努力はそう辛い努力ではなく、

ちょっとした気遣いや、

気の回し方や意識の問題ですね。

 

 

やっぱりね、自分が平和でいられることが

一番の社会貢献だと思います。

 

 

 

 

8月は、

サスペンスものにハマったり、

母との仲はようやく雪解けを迎え、

一人でいる時間も、

友達といる時間も、

全て大切な時間であることに気がつけた

私にとって忘れられない月でした。

 

そして、

病気のおかげでこうして

いろいろなことに気付き、

いろんなものを得られました。

 

少しでも平穏な心と

健康な体と

幸福を感じる力を

身につけるための実験を重ねる日々が

とても楽しく、

ようやっと、

本当にようやっと、

「こんな日がくるなら病気になった意味があったかも」

と思えるようになりました。

 

勝ちました。

これは、本当に、勝利だと思います。

 

 

やっぱり、

摂食障害になんか、ならなくていい。

私はこれを機に成長したとしても、

できるものなら食い止めたいし、

1日でもはやく治癒する手助けを

人にしたいくらい、

こんな病気は本当にいらないとは思います。

 

ここまで苦しい思いをしてまで

その先に待ってる未来なんて

本当に笑いがあるのか、

生きているべきなのか、

自問自答し続ける日々の先に、

私は私に平和をもたらすことができて、

こうなるならば、

「病気になってよかった」とまでは思いませんが

「病気を経て得られるものもできた」と、

思えるようになりました。

 

ただの辛い思い出とか、

不幸話で終わらせることなく、

一発逆転の大チャンスと

自分の中で捉えることができたのは、

本当に大きな収穫でした。

 

病気がというより、

自分のこういった思想が収穫です。

 

 

世間的に何かを成し遂げたわけではなくとも、

無名で、

ちょっと道を外れた

おかしな人間でも、

ちゃんと幸せを感じることはできるんだなと

21歳の夏に、学びがありました。

 

 

今年の夏にありがとう!

死にそうな夏から、なんとか這い上がったね。

私のおかげで、友達のおかげで、家族のおかげで、失恋のおかげで、病院のおかげで…。

全ての人にちゃんと感謝し、

恩返しができるように、

そのために生き続けていこうと思います。

 

歩こう。

傷痕は”過去は現実だった”というしるし

薬を飲み始めた影響が節々に出て、

どの自分が私なのか最近はよくわからないながらも

なんとか楽しんで生きてみようとする自分がいます。

 

 

大学が夏季休暇に入ったおかげで、

「夏休みはどうするの」とか

「夏休みは何するの」といったような

質問が学生間で交わされます。

私もしてるし、

学生以外の友達にも質問されましたしね。

 

 

なんせ私、

日本の大学の夏休みっていうのがはじめてだから、

ちょっと浮き足立ってるところもあります。

8月に夏休みを経験したことはあれど、

9月も夏休みっていうのはどんな感覚なのだろうと、

今から楽しみにしています。

 

 

 

 

大学生の夏休みって何するんだろう。

多分、サークルの合宿だとか

海だとかBBQだとかするんでしょうか。

そういえば去年は会社のBBQ参加したな。

あれは夏っぽかったな。

 

 

 

夏合宿のある団体に所属しているわけでもなく、

特に夏らしい予定を立てていない私ですから、

友人知人と会う約束をちょいちょい入れつつ、

フェスとライブに行く予定がついここ数日で入りましたけれども、

あとは自分なりに働きたいところを探して

何より自分に向き合う夏休みにしたいと思っています。

 

 

この前、ある友達に

「夏休みは何するの」と私が質問したところ、

彼は

「夏休み明けに友達に何したか聞いて焦りたくはない

だからそうならないようにはしたい」

 

と答えてくれました。

 

 

 

★★★

 

ここ最近、ほとんど毎日、

「鬱じゃないって最高だな〜!!!」

と声に出したり(in部屋)

心の内で叫んでみたりしているほどに

気分が良い私ですが、

それでも私が不安になることと言えば、

元気な自分が果たして本当の自分なのかということ。

 

 

本当の自分とは、って

考えすぎると哲学に入ってきそうで、

人によっても答えが違うだろうし、

私の中でもちゃんとした答えが決めきれていないので、

自信を持って言える言葉はありません。

 

 

こうして元気なのに

不安になったり

自分を怪しむ第一の理由は、

薬がどこにどう作用して、

どこまで私を左右しているのかわからないためです。

 

 

 

以前から、バイポーラー気質があるなと

感じてはいるんですが、

楽しい気分になったら、

「これは薬のおかげ?」

「今って躁状態?」

なんて考えます。

 

(大体ハイになってやったことが

その後にいい影響を与えたことがあんまりなく、

むしろ悪影響をきたしているときも多くあり、

そういう事柄が増えたことから疑い始めたんですが、

最近は薬のおかげで抑うつにもならないし、

気分の落ち込みも激しくなく、

切り替えも早くなりました。

むしろ、物事を以前よりもいいように捉え、

何事も楽しみたいという気力も湧いているのですが、

特にテンションが高くなると、

胸の鼓動が早くなるのを感じ、

体に力がみなぎって、

落ち着きがなくなって、

すごくおしゃべりになりたくなるんです。

だからといってそのまま友達に話したりはしませんが、

誰かと話したくてたまらず、

カウンセリングや友人との約束が恋しくなり、

突然声をかけて友人を誘うこともある。

 

書きながら調べていて感じたんですけど、

普通にこれ躁状態っぽいな。うーん。

でも病気とはまた違うと自分で思ってる。)

 

 

 

最近で言えば、

友達との楽しい予定が入ったとき、

個人的に楽しみな予定が入ったとき、

友達とお話ししている最中でやりたいことが出てきたとき、

自分がやろうとしていたことをやり遂げられたとき…

 

なんかにハイになっていくんですが、

これは当たり前じゃないの?

やる気が出て、生きる気力が増し、

ワクワクしてきたり、

それって普通じゃないのかな。

 

今このブログ書く気になったのも、

自分のやろうとしたことを

後回しにせずちゃんとやるようになっている自分をみて、

成長を感じ、

それとともに「今なら文章も書きたいな」

と思ったからなんですけど。

 

 

問題意識をあまりに持ちすぎているわけじゃないけど、

精神は見落とすのは危ないし、

正直どうしたらいいのかわからないのだけれど、

ていうか書いててちょっと深刻っぽくしちゃっただけで、

そういうつもりはないし、

そんなこと言ってたら、

元気な自分・調子のいい自分って、

常に躁状態なわけ?人に迷惑かけないならよくない?

と思う自分もいます。

(薬を飲み始めるまでは人に迷惑かけまくる躁状態が多かった)

 

 

 

まぁそういうこともあって、

どの変化が自分にとっての努力の結果の成長で、

どの変化が科学的に作用されたもので、

っていうのがまだはっきりとつかめていない分、

今生きている自分というのも

なんだか少し不確実な感覚がするのです。

 

それでも、

自分が自分であることに疲れたという感覚は

もうほとんど消え、

今は自分が自分であることに誇りを持とうとしているし、

全部の私にもやがかかっているわけではないと思います。

 

 

ただ、そのあたりをもうちょっとちゃんと

掴みたいからこそ、

こうやって言語化したり、

ここに書かないことでも

ほぼ毎日自分の変化や行動を記録に残し、

生活スタイルを自分なりに分析し、

そして外部の情報を収集しつつ勉強しています。

 

 

 

この夏休み、

私はそうやって自分を被験者に、

自分なりに自分の研究をすることに専念したいなと、

心から思っています。

 

 

 

薬の影響がどこまであるかわからない

不確かな自分でリスキーなことや

新しいことに挑戦するのは少々不安なので、

あまり大きく動かないということでもあるけれど、

それでも、ほとんど外出せず人とのコミュニケーションが乏しい日であっても、

自分の観察をしていると、

記録に残したいことが多すぎるくらい、

やれること・学べること・気づけることというのはたくさんあります。

 

 

だから、

私はこの過ごし方に今のところ不満はないし、

楽しいし、やりがいを持っています。

 

でもきっとこのすごし方って、

他の人からみたら、

「何してたの?」と言われるかもしれない。

 

ただ、そんな

人からどう見られるかとか気にしているのはつまらないし、

自分のためになる気にし方ならいいけど、

そんな他人のために夏休みを使うわけじゃないし、

これまでの立て直しと

これからの計画のためにも、

いい期間をもらったからしっかり休んで使いこなそう

という感じでいます。

 

 

★★★

 

 

確かに私も、

病気を経験せずにそのまま過ごせていたら、

ちょっとでも見栄えのいい休みにしようとか、

いろんなことをしようと意気込んでいたかもしれません。

 

どんなに周りが起業しても、輝かしく活躍しても、

今の自分は、他人を見て焦ることはないだろうと思います。

 

 

それは他人とは、

おこがましくも通ってきた道が全然違うし、

同じ土俵にもいないどころか見てきた世界が違うのに、

比べたところで相手に失礼だし、

自分にも失礼だからということがあります。

 

加えて気分がいいから忘れがちになるけれど、

服薬している治療中の身で、

何も完璧に元気になっているわけではないんだろうから

あんまり無理しようとも思えない。

 

 

そういうわけで、

この薬という科学や医療から学び、

自分を見つめた毎日の変化や成長を感じ

一人称を大事にして、

これまでを振り返りつつ、

外部から見聞を集め、

どこからなにを切り取って

自分の今とこれからに活かしていけばいいのかを考えるには、

もはや2ヶ月弱では足りないかもしれない。

 

 

 

派手なものは何もないけれど、

自分がこの先の人生、

もっともっと生きやすくするための、

勝負の大学一年生の夏休みになると思います。

 

 

というか、なっています。

 

これからもそうしていきたいです。

 

 

 

 

毎日、自分でいるのが楽しい。

自分を見つめるのが面白い。

鬱じゃないって素晴らしい。

そう感じられる日々があります。

 

 

心がどんづまって、

死にそうなときは、

毎日をやっていくのに必死で、

生と死の境目が薄くなりました。

 

そのおかげで、1日を終えるたびに

「生きた」という実感を得てきました。

 

苦しいとき、「生きる」ことを実感しました。

 

その苦しみはやっと通り去ったけれど、

生の実感を簡単に忘れることはありません。

 

元気になれても、

生きることが当たり前だとは思えず、

「生きてる」って思って、生きています。

 

 

だから、

毎日いろんな自分を発掘し、

再発見したり、

新発見がある日々が、

たとえ他の人々からは形容しがたい1日だとしても、

私にとって大事な日々なのだと、

自信を持って言えます。

 

 

目に見える形で

何かを得られるような夏休みではないかもしれないけれど、

私がそれでいいというなら、

それでいいんだと思えるようになったことは、

随分な成長だと感じます。

 

ようやく、他人基準ではなく、

自分基準で生きる生き方を知りました。

もちろん人は大事にしたいけれど。

 

 

でも、きっとまだまだ。

 

周りと比較しないようになってきたとはいえ、

やっぱり病気だった2年半を、

皆は人間として成長してきたのに、

私はマイナスをゼロにするための2年半として費やしてきたから、

他の人より幼く、未熟であろうことは重々承知しております。

 

 

 

ま、あんまり自分を過大評価することも

過小評価することもなく、

冷静に見れたらいいですね。

 

 

 

あとハンニバルシリーズにはまってしまいました。

私ああいうの本当苦手だったのに、

好奇心が勝ってしまい、みはじめたら止まらず。

 

精神異常者にちょっと興味があるんですよね。

なんか自分が怖いような気もしますが、

こういう変化も面白いです。

(タイトルは、レッドドラゴンでのレクター博士の言葉です。

感動しました。この人すごいな。)