新月の日に、何もないとは思わない

双極性も鬱も、

「できる」と「できない」の

波があるんじゃなくて、

本当はどっちも「できない」が同じで、

気分が良い・調子が良いと感じる時は

落ちた波の時よりも少し冷静に物事を考えられる

くらいなんだろうなと、

ようやく気付いた。

 

「治った」「治ってない」の

波に翻弄されていたけど、

そういうことじゃないね。

 

どう言うかは人によって様々だけど

フィールドとしては、

「できない」

「治ってない」

「本来の自分ではない」

「頑張れない」

という中での波だから、

ちょっと気分が良い時に

「(本来の自分に)戻った」と結論づけて

頑張りすぎて物事を進めるのはよくないなぁ。

私にはね、良くなかった。

なのにずっとそのやり方で

うまくいっては倒れてうまくいっては倒れて…。

 

 

できる時に調子乗るんじゃなくて、

できない自分とか、

人と違う・人より劣っている自分がいることを

もう諦めて、

その範囲で自分ができることを考えて

行動にうつすくらいでいいのよ、きっと。

諦めることと卑屈になることは違うしね。

 

 

人と同じように大学生活終わらせられるかな、とか

働くまでが伸びちゃうな、とか

いつまでこうしているんだろう、とか

焦りももちろんあるのだけれど、

焦ったからとして何かができるほど

自分に力がない今だからこそ気付いたこと。

 

出来ない自分で

無理せず出来ることをやっていくしかないよね。

 

あんまり自罰的になるのもさ、

傷つかない予防線にはなるけど、

不幸な思考に取り憑かれてるだけだなと思って、

そんなことに力を入れるのもやめて、

なるべく幸せな気持ちでいないと、

自分で自分を不幸にして

その不幸にしがみついてるみたいで、

だっさいなぁと思った。

 

悩みは、越えて幸せを迎えにいくまでにある

ただの壁なのに

その壁が本体だと思って

そこにずっとしがみつくのが

自罰思考だね。

 

自分で自分を不幸にするの

本当にバカみたい。

でも不幸を感じたからこそ気付けたこと。

 

 

 

 

 

大人になると、

出来ないことが増えるというか、

出来ないとわかることが増えていって、

それが悲しいと言っていた人もいたけど、

自分の出来ることと出来ないことが

明らかになっていく中で、

出来ないを諦めて

出来るを伸ばす。

 

そのやり方を探していくのが人生なんじゃないかと。

 

出来ないを諦めるまでの葛藤が

思春期とか青年期で、

出来るを伸ばし、

それが個性と言えちゃうのが大人の楽しさで、

本当に自分の個性を活かす楽しさを知るのが、

生きる幸せなのかな。

 

 

今は、

生きるために生き延びている感じで、

1日1日を、

ただ終わりが来るのを待つように過ごすのは

数ヶ月変わっていないのだけれど、

でも、そんな中でも

こういう気づきがあったり、

お金貯めようって思って行動できたり、

家計簿つけるのが続いてたり、

旧来の友人のありがたみに感謝できたり、

少しずつ学んで、

少しずつ学びを活かす行動をして、

決して無駄ではない日々を送っていると、

そう感じられるようにはなりました。

 

 

 

新しく通った病院でもらった薬のおかげで、

最近は症状が出るどころか、

食事と対等に付き合えていて、

例えそれが一週間ぽっちの成功でも、

「こんなに幸せなことなんだ」と思います。

普通のありがたみに気付いてる。

まぁ薬のおかげで体に力が全然出なくて

本当に歩くのもやっとなんだけど、

でもきっとそれにも徐々に慣れていくだろうし、

病気との付き合い方とか、

ひいては自分自身の付き合い方に

もっともっとうまくなっていけたら、

すごく嬉しいな。楽しみだな。

 

 

 

獅子座の新月です。

胡散臭いかもしれないけど、

お願い事書くといいですよ。

いいですよったのは、叶いますよってことより、

少しでも心がワクワクすることがあるのはいいですよ、ってことです。

お願い事を書くのは楽しいです。

希望があるということは、生きる糧があるということですから。

 

でも希望を心の糧にできるというのも、

簡単なことではないから、

今そう思えている自分に喜ぼう。

特になにもない日

うーん

力が入らず

いろんな動作が鈍くなる

 

普段やれていた一つ一つの行為が

自分を生かすための大事な行為であり

結構力がいるもんだなと気づく

 

書きたいこともっとあるんだけどなあ

本当に手が進まず

これを書くのも普段の何倍もの力を必要としちゃうな

 

結構そういう時ってつらいもんだね

 

 

周りに鬱をはじめ

精神疾患の診断をもらってくる人が

増えていて

みんなこういう瞬間を

なんとか生き延びてんのかなあと思うと

早くみんながよくなって幸せになってくれないかなあと

そう願うばかりです

 

 

 

綺麗なものを

綺麗だなって思うことも

案外疲れるもんで

そう思えない日もあるね

でもやっぱりお花って綺麗なんだけどね

 

 

もうちょっと経って元気になったら

最近考えていたこととか

言葉にしたいことを

ブログにまとめられたらいいなあ

 

 

恋しいよ

愛しい人とか、普通の日々が

生きてるだけでいいって思えない

 

生きるためには何かしていなきゃ

自分に価値がないけど

人にいい気持ちしてもらうのも

大学ちゃんと行くのも

ちゃんと単位を取るのも

まともに働くことも

友達作りも

全然できない

 

何もできないけど

生きてるだけでいいなんて思えないから

もう生きてちゃいけない気がしてしんどい

燃え上がる日を待っている

大切な誰かの人生に、

自分が大切な人として選ばれることは、

心の底から素晴らしいことだと思う。

 

誰かが大切にしている人生に、

自分が一緒に素晴らしい人生を創造できるなんて、

これこそが最上の生きる喜びなのかもしれない。

 

だから、大切な私の人生にも、

大切にしたい人がいてほしい。

共に築き上げたい。

 

 

でも、今は、

自分が自分の人生を

大切にしてあげられてないから、

大切な人と一緒に生きたいなんて、

そんなこと思ってたら相手に失礼なのかもしれない。

 

 

 

今日は、

「生きなきゃいけないんですか」

って聞いてみたら、

「生きなきゃいけない」って言われてしまった。

 

 

そうか、生まれたから生きなきゃいけないのか。

 

生まれてしまったことって、

こんなに辛いことなのかと思うと、

涙が止まらなかった。

 

そんな日もある、で済ませたいけれど、

そろそろ、そんな日からおさらばしたいのに、

ずっとこうなってくると、疲弊する。

 

 

 

 

 

 

ずっとうまくやれなかったけど、

どうしても身の回りの大切な人に

嫌な思いをさせたくなかったし、

笑ってて欲しかったし、

楽しい思いでいてほしかった。

 

でも、なぜだかそううまくやることは

もう最近はできない。

 

あんなに簡単にやれてたこととか、

好きなことがほとんど続かなくなってしまった。

 

 

 

いつの間にか、

自分が人から

幸せとか笑顔とか、

プラスのものを奪ってしまうような存在になった気がして、

そばにいてほしいのに、

私といたら嫌な思いをさせてしまうなって、

余計に自分を殺してきたような気がする。

 

 

元気な自分を取り戻せないまま、

どんどん自分が死んでいく。

 

いつ、どこにいっても、

人と少し深い仲になると、

自分が重荷な気がしてしまって、

自ら孤独を強めてしまった。

 

 

 

生きていて良かったと言える日は来るんだろうかと

辛い時に考えた。

絶対に来ると希望を持って、

それだけを頼りに生き延びた。

 

そんな希望も、もはや薄くなってしまって、

トンネルから見えていた薄暗い光が、

またもや闇に包まれていくようで。

 

 

どうせ死ねないくせに

自分の内では生きるか死ぬかで闘って、

その間にもいろんな人が、

楽しみながら成長の階段を登っている。

 

その様を見ているのも辛い。

なのに自分はできないことばかりが増えていく。

 

 

焦る。

焦りが爆発する。

生み出せない憤りを自分に感じる。

 

 

 

今の私には、100出す力がなくても、

たとえ20の力でも、不器用ながら80にごまかせる力がある。

だから変なところで頑張ってしまって。焦るから。

 

でも100出せる準備と100を超える努力ができる段階になるまで待たないと。

治さないと、休まないと。

焦るけど、じっくり待たないと。

自分を信じてあげないと、治るものも遅くなっちゃう。

 

ちゃんと休まないといけないのに、

いつもどっちつかずで、

そうなった時は焦りから振り切ろうとしちゃって、

あとで自分の首を絞めてきた。

 

 

焦るけど、苦しいけど、時機が来るのを待って。

 

 

ちゃんとまずはふつうを取り戻そう、

何もできないうちは辛いけど、

その間を無駄にしないよう

こうやってブログとかに書いて、最低限記録して。

 

いつかちゃんと、

それらが

芽を出すように。

 

 

今はこんなひどいけど、

まぁ見てろよ、と。

今に自分を幸せにして、

大切な人を幸せにしてやるから、

しのごの言わずにこっちにいろ、と。

私よ、私から離れるんじゃねえぞって

離れたら後悔するぞお前!って、

本当はどこかで

そうどこかで思っている強い自分がいるってことくらいが、

生きる力になっているのかな。

何言ってるかわかんなくなってきたな。

まぁこんなの、

弱って何者でもない人が言うの恥ずかしいんだけど、

でもそんな風に思う自分がいることまで隠したら、

多分もう死んじゃうから、

それよりは大口叩いてみようと思う。

絶望に踏み潰されないように。

 

 

本当は愛してやまないこの毎日を

いい加減に過ごすのはやめなよ。

gyao.yahoo.co.jp

摂食障害の治療法に新たな道を

心の病気として認識されている

ほとんどの病気が、

脳機能障害だと思える。

 

別に心の存在を否定しているわけではない。

ここからは主に摂食障害について。

 

意志が弱いとか

甘えとか

そんな風に

患者の自分だったり、

患者の他人を責める人に言いたい、

摂食障害は心の病気以前に脳機能障害。

 

特定疾患(難病)には「精神」の分類はありませんし、

摂食障害なる中枢性摂食異常症は、

内分泌系疾患に分類されている。

 

心の病気だけと捉えて

認識したり治療するにはあまりに不十分かと。

 

脳機能、特にこの病気でいえば、

摂食中枢・満腹中枢がぶっこわれてるので、

視床下部がうまく機能してくれていない。

そういうことですよね。

 

 

もちろん下記にあるようなことが

病気の治療においては大切だし

メジャーなものな気がしますが、

今のところこの病気には特効薬はないし、

どれも大体、労力・時間・お金がかさむんだよなぁ。

効果的にやるには以下のものを

組み合わせたりしないといけないから、

中々普通の生活も送りづらいし、

治療も長期的になる。

長期治療が悪いわけではないが。

 

 

「行動療法、認知行動療法、対人関係療法、家族療法、芸術療法、集団 精神療法などが組み合わせて行われる。神経性大食症には抗うつ薬が有効な場合がある。 」

http://www.nanbyou.or.jp/kenkyuhan_pdf2013/s-naibunpitu4.pdf

「難病情報センターホームページ(2017年07月現在)から引用」

 

 

で、

思うんですけど、

この病気、

というかまぁ脳機能に障害のある病気全般に言えることだと思いますが、

タッチケアもっと広まっていいんじゃないかと。

 

どっかで導入されてるかもしれないが。

それなら、もっと一般的に広まって欲しい。

 

触覚は、

人間が一番初めに持ちうる感覚。

生まれたての赤ちゃんの生命維持に不可欠なのが触れ合い。

その触れ合いが年々抜け落ちてしまっている。

触れ合いの力はバカにできない。

 

それを証明する実験だって数々なされてるし、

実際今は認知症患者に

タッチケアなどが広まっている。

いや、これ、精神病患者にも必要よ。

 

 

日本人のコミュニケーション習慣を見ても、

圧倒的に人と肌で触れ合う時間って少ない。

 

あと今の時代すぐトラブルになるので、

中々無闇矢鱈に触れることができないけれど、

触れるということをもっと考えていいんじゃないか。

 

タッチケアをもっと組み合わせれば

もう少し早く、効果的に治療が進むのじゃないかな。

と、思うんで、ちょっと探してみます。いろいろ。

 

 

触覚や、

触れた時の快・不快は脳に届くものですから、

心理的アプローチだけでは足りない

脳機能障害には確実に効果的だと思う。

思うんだけどな。

 

でも問題は人だよなぁ。

やってくれる人探しからだし、

病院にそんなこと言って取り合ってもらえるのか。。

 

 

 

すべては大好きなあなたに、愛を込めた贈り物をしてから

プラス思考でいようとか、

感謝しようとか、

将来の希望に胸を高まらせようとか、

そう思って頑張ろうとするも、できない。

 

 

でもきっと、いやなことばかりじゃない、

楽しいこともある。

 

つい数日前だって、

好きなアーティストの出演するテレビ番組をみて、

生きていてよかったと思えた。

 

 

 

それでも、

自分が自分であることへの疲弊と、

生きてる辛さに

勝てるほどの喜びだと感じられない。

 

 

病気になったことに勝てる喜びが、ない。

 

 

 

感謝とか、愛とか、

自分の中にあるはずの

そういうキラキラした上向きな情を

すべて否定するつもりはないし、

あるのも事実なんだけれど、

それらが生きる希望にならなくなってきた。

 

 

もうそんなもので賄えないほど、

多分この二年半を必死で生き抜いたんだと思った。

 

 

疲れた。

白旗を上げよう。もう、無理です。

 

でも、白旗を上げたところで、

その自分を処理してくれる出来事はなかった。

だったら自分で処理をしようと思ったけれど、

なるべく人に迷惑もかけず、

痛みが少なく、

綺麗なそのやり方がわからなくて、

大泣きしながら一つだけお願い事をして布団に入った。

 

明日には自分がいなくなってるようにと。

 

 

でも、今日も私には朝がちゃんときていたし、

「結局また生きなきゃいけないのか」

とベッドから立ち上がる自分の脚の動きをみて、

「悠長なやつだなぁ」と思った。

 

 

 

今日は病院に行く用事と、

種類は違えど同じ悩みを抱える友人に会う用事がある。

 

 

こんなに死を願っておいて、実行できずに

生を諦めないための場所に足を運ぶ、

そんな自分が気持ち悪かった。

 

 

 

でも、今日は今日を終えるしかない。

ちゃんと行こう。

 

 

 

 

 

それで、

どうせ死ぬなら、

あのブラウスを着ておこうと思った。

 

せっかく手に入れたのに、

恥ずかしさや罪悪感や後ろめたさがあって、

着れずに眺めていただけの、

大好きなブランドのブラウス。

 

 

もはやインテリアのように、

毎日目の見えるところに飾っていたその服を、

「最後に一度は」と着ることにした。

 

自分なんかが、

こんな素敵な服に袖を通すなんて、

申し訳なくて、

自分のものなのに、ずっと遠慮していた。

 

 

 

やっと、身に纏えた。

 

死を覚悟すると、人は強くなる時があるんだと実感した。

 

 

服を引き立てられない自分に悔しさを覚えるけれど、

生きていた記念だ、今はこれでいいだろう。

 

 

その服を着ていたからといって、

運命的な何かがあったわけじゃない。

素敵な服を着ていても、

世界は、特段、変わらない。

 

だとしても、好き。

 

この服にはどうしようもない愛情がある。

 

 

自分のことが嫌いでも、

その服に対する愛があるだけで、

今日を生き延びれた気がする。

 

死を意識して、よかった。

そうじゃないと、今日初めて着ることはなかった。

今日は記念日だと、カレンダーに記入した。

 

 

 

今日の終わりに、

ブラウスをクリーニングに出しに行ったら

クリーニング屋さんのおばあさまが、

私の服に感激していた。

 

「まぁ〜〜!素敵!
今どき、こんなに素敵な服があるの?
これはどうやって着るの?
下には何を合わせるの?
ああ、もったいないわぁ。本当に素敵な服ね。」

 

と、ブラウスをしきりに褒めていた。

 

どうしても嬉しくなってしまって、

「そんなに言ってくれてありがとうございます」

って。別に私が作った服でもないのに。

 

 

でも、そう言われて改めて、着て良かったと思った。

死のうと思わなかったら、着れなかった。

あんな最悪な日の次の日くらい、と勇気を出して良かった。

 

 

この服を着たって世界は変わらなかったけれど、

この服を見た一人の人が感動していたのを見て、

私もこの服に魅了された一人だったから、

これを手に取った時の感動を

一緒になって分かち合う人がいたことに、

「サイコーだな」と、シンプルに思えた。

 

あのクリーニング屋さんに行ってよかった。

 

こういう小さな偶然に、

とっておきの幸福が用意されているんだろう。

それを感じ取れたのは、いいことだった。

 

 

 

でも、私は欲張りだから、

どうか、つらいことに負けずにやっぱり頑張って生きよう

と思えるくらいの、

メガトン級の充足感を与えて欲しい。

 

そうじゃないと、次またいつ壊れるかわからなくて、

このまま人生を続けるのが怖いんだ。

じわじわと追い詰められるのは、もうこりごり。

 

生きていてよかったとか、

生かしてくれて、神様ありがとうなんて言えないくらい

荒んでいるけれど、

それでもいいから

できればこうやってブログをかいて、

生きているうちにあった大事なことを

ちょっとでも忘れないようにするよ。

 

 

生きていることがしんどいみなさん、

今日もよく頑張りました。

私も、ものすごく頑張りました。

臨床心理士を非難するようなことを

書いてしまうのは申し訳ないけれど、

聞き方ひとつで、

その人の力量や配慮がわかる

 

医療機関である以上

我慢するけど

結構キツイこともあるよね

 

 

病院の先生が

「ここのカウンセリングも使っていいよ、

それが臨床心理士の勉強にもなるし」

と言っていたけど、

心理士も場数踏まないと

わからないことあるしね、

その心構えでいるのはいいと思います。

 

でも、勉強に使えるなら

ウィンウィンってことで

自費診療代浮かせてほしいな〜。

 

 

 

病気じゃなくて、

その人本人を見てくれるような

医療従事者がもっと増えるといいな。

 

そのために私ができることも

もうちょっとあると思った。