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自分が親になったらの話

‪子供は親が完全だと思う。

親こそ唯一神であり絶対神だと思う節がある。

まだ広い社会を知らないから仕方ない。

 

 

だから親から怒られると、

「そこが自分の欠点」だと思うし、

理不尽な怒りをぶつけられたら、

「自分が無価値だから」「自分が悪い子だから」

とほぼ100%思ってしまう。

 

かといって親も人間だから

当たってしまうこともあるし、

教育を飛び越えて、必要以上に怒ることもあると思う。

 

それなら子供が小さい時から、

「お母さんはあなたを怒ることがあるけど、それはあなたが不完全だからではない」

っていうことを常日頃から言っておく必要があると思う。

 

怒るけど、

根本には愛しかないし、

憎くて怒るわけでも、

あなたが存在悪なわけでもないんだよと

怒る頻度の何倍も伝えておこう。

 

 

もちろん愛はその何千倍。

 

甘やかすんじゃなくて、

わたしの子供だから大丈夫って思うような強い自信のために!

 

あとこれは旦那さんに接する時も大事なことだね。

自意識が邪魔をしてためらっていた私ですけれど、

自意識が邪魔をして、
買いたい本が買えないっていうこと、ないですか。

まあ結局買えちゃうんですけど、
どうしてもレジで出すのが恥ずかしい。

 

参考書を買う時は「ここができないんだ」

美容本を買う時は「お前でもそんなの気にしちゃってるんだ」

自己啓発本を買う時は「怪しいものにとりつかれちゃって」

流行りの本を買う時は「あ〜、ミーハーなのかな」

とか…

 

いちいちそんなことを気にしてしまっていました。

 

でも、

本を買うって、その人にとって、

割と大きなことだと思うんです。

 

ちゃんと、何かに対する答えを求めているから、
本を買うわけじゃないですか。

必死で、本気で生きてるってことだと思うんです。

 

文学に触れるのも、実用書に触れるのも、

なにか得られるものがあって、

それが好きだから自分のものにするんでしょうし。

 

 

ま、でもやっぱり、

ある本を持っている、買う
=その分野を少しでも向上させたい
=そのことを気にしている/今の自分には足りていない

 

と、まるで「自分にはこんな欠点がありますよ」と

宣言しているようで、恥ずかしく思ってしまう節があります。

(彼氏が家にきて「こんな本持ってるなんて知られたくない」という思いがあるくらい)

 

 

一人で考えてもわからないことが数多とあるので、

いろんな人の意見を聞きたいし、

手っ取り早く自分のペースで手がかりをつかみたい。

 

確かに恥ずかしいことに、自分に不足していることがあるというのは事実です。

だから本にヒントを求め、答えを自分なりに見つける必要があるんです。

 

 

 

ここ最近でいうと、恋愛が結構自分を悩ませてくれて。

 

それまで似ている人、手に取るように気持ちがわかる…とまではいかずとも、

似ているところがある人と意気投合し、

お付き合いする流れになっていたかなと思うんですが、

なんか、もうここまで似ているところがないっていうのも初めてで。

 

だからこそ自分の見えない視点で物事を考えていて、

話しているだけで刺激になるし、

自分にないものをたくさん持っているからこそ惹かれたわけですが、

恋人の関係になるということは、

理解し得ないところをそのままにするわけにもいきません。

 

山崎まさよしさんのセロリに最近になって

心の底から感動するようになったんですが、

まさに、バックグラウンドも今まで生きてきた道も全部違うから、

それに男と女だし、

価値観の違いも好き嫌いも仕方ないんだけどさ。

 

だんだんその"違い"というものが

辛くなってしまって(でもこれは勝手に辛くなってるだけだとわかりましたが)。

 

でも、セロリが爆売れしてるくらいなんだから、

きっと同じように悩んでいる人はたくさんいるんだな、

と、恋愛指南書をいくつか求めるように本屋に行きまして。

 

めちゃくちゃ買いたい本があったんだけど、

 

「こいつこれで悩んでるんだ」って思われるのが恥ずかしい!!!

あと、「こんなの買うから重いんだよ」って知らない店員さんに思われたくない!!!

 

(だってたとえばセックスレスで悩んでいたとして、セックスレスの本を買うとかめちゃくちゃ恥ずかしくないですか?知らない人に「セックスレスです!!」って言ってるようなものじゃないですか)

 

と、立ち読みしつつ買うのを躊躇してしまっていたんですが、

書いたかった本が、ドンピシャで、

「ああ、私の求めてること書いてある…買うしかない…」

と心が叫ぶのです。

 

自意識との戦いです。

 

 

そこで思いました。

 

「その悩みに真剣になったからこそ、

こうして本を買うというほど、

ちゃんと悩みに向き合い、

それを自分の手で解決しようとしている」

自分がいるんだなって。

 

「辛いことがあっても、続かせたいからこそ悩んでるのだし、

乗り越えて、できるだけ長く一緒にいたいし、

そこまで思える恋愛を大事にしたい」

というのが、本を求めた自分の奥底にある気持ちでした。

 

「苦しい」から答えを求めるんじゃなくて、

「好きだ」から答えを求めている。

そこを忘れたらダメ。

 

これは恋愛じゃなくてもね。

 

何かの問題に対して、

諦めたくないから、本を買うんだなと。

 

 

その気持ちがあるだけで立派じゃないですか。

 

そう思ったら、気楽になって、

むしろ勉強熱心な自分が誇らしくなって

レジに向かいました。

「頑張るから君もよろしくねー!!」と本に思いをぶつけました。

 

過剰な自意識を抱えたまま買った本と付き合うよりも、

数倍もその本と仲良くなれた気がします。

 

 

思い一つで、

足取りは随分変わるものです。

 

そして、そう思って買った本は、本当に素晴らしかったです。

 

 

 

 

 

 

ここからは余談というか、

違う話なんですが、

ジョン・グレイ博士という人が、

「男と女は星が違うから基本的にわかりあえるもんじゃない」

っていっていて、私それからなるべくそう意識はしているんですが、

とはいえそれでもどうすればいいかわからないから、本屋に行ったわけです。

 

 

それまではそんなに気にしたことはなかったんですが、

そういえば、

女性の恋愛指南書が多く出ているのは目にするけど、

男性向けの恋愛指南書って、そうはなくないですか?あるんですか?

 

男性向けってもっと、「多くの女性にモテる方法」みたいな本な気がして、

「今付き合っている女性のことを理解しきれない男性が求める本」

ってあんまりないのかなって。

男性ってそういうので悩まないんですかね?

 

あと、恋愛の仕方が多様に認められてきたこの社会だけれど、

未だ同性愛での恋愛のお悩み解消本ってそんなに見かけないんですが、

やっぱり性別が同じっていうのは、

わかりあえることが割と多いから本を求めるまででもないのでしょうか。

もちろん衝突はあると思うけど、

「完全に理解できねえ!!」みたいなことは異性間恋愛より少ないのでしょうか。

需要はあると思ったんですが、まだまだ見かけない分、

外部の圧力と戦う方が今は問題なのかな…。どうなんですかね。

 

あ、あと、もし男性で本当にモテたい人がいたら、

モテるハウツー本より、

女性の恋愛本を読んで、

「女性はどんなことで悩むのか」を把握し、

そのツボをおさえてあげるのが一番いいと思います。

それが女性を攻略することだと思います、

そういう意味では男性は女性の悩みを知れる本がこんなに出回っていて、うらやましいなと思います。

まぁ自主的に勉強するそんな熱心な人がいたら、

恋愛でそんなに悩むこともないかもしれないですけれど。

‪All that glitters is not gold.

輝くもの必ずしも金ならず。

 

シェイクスピアの言葉ですが、

これに同意せざるに得ないことが最近ありました。

 

 

多くは語らないけれど、

一見成功しているような人、

うまくやれてるような人に、

ついて行くか行かまいか、

それはその人が芯から輝いてるかどうかで

判断しないとダメだな、と思ったんです。

 

 

たとえ才能があったとして、

社会ではうまく評価を得ていたとしても、

中身が知らぬ間に腐ってる人は、

その輝きは本当にメッキでしかなくて、

何かの拍子にあっけなく剥がれますね。

 

 

輝いてるからといって、

それがホンモノかっていうとそういうわけでもない。

 

輝いて見えるだけで、輝きはニセモノ。

 

 

それで学んだのは、

人に対しても、自分に対しても、

「この輝きってホンモノなんだろうか」と

点検する時が定期的に必要なんじゃないか

ということです。

 

ホンモノの輝きに気付いてくれる人、

少し影になって見えづらかったとしても、

その輝きをちゃんと掘り起こしてくれる人、

きちんと教えてくれる人、

その輝きを肯定してくれる人、

そして見かけだけの輝きを取っ払ってくれる人、

そういう人を大事にするべきなんだろうなと

思うのです。

そういう人が近くに一人でもいたら、最高ですね。

 

友達やパートナーや家族と、

そういう関係でありたいです。

 

 

 

偽の輝きについていく人は、

メッキが剥がれた瞬間

また別の輝くところを求めて

すぐに寝返るからね。

 

自分が上に立った時、

今下にいる人たちは

自分のどこを見てついてきてくれているのか、

そういうことを意識するのが、

上に立つ人の仕事の1つなんじゃないかな。

 

泥臭くても、

一歩一歩確実に、

どの立場に行っても

自分の大切なものや価値観を曲げずに、

一生懸命やる人は、本当に美しかったです。

 

そうそう、

2012年日比谷野音の宮本さんを見て、

人から放たれる本当の輝きと、

人間として生きる美しさを教えられました。

 

輝くもの必ずしも金ならず。

その分、本物の金は、人の魂を揺さぶる輝きがありますね。

 

中身も外見もちゃんと輝く人になろう。

腐らない人はちゃんと分け前をもらえるシステムだってスーさん言ってたし。

あれ本当に今の心の支えなんですよね。 

 

 

気づいたら、夢、叶ってるよ!

昔の、高校生の時の私に言いたいこと。

 

大人になると、辛いことはたくさんあるし、
高校生の時の悩みとはまた違った種類の悩みが増えたよ。

あの時だって必死に生きていたから悩んでいたし、
こうなればいいのにっていろんな夢や希望を抱えていたりもした。

今も生きづらさは抱えているけど、
でも、高校生の時じゃ味わえなかった楽しさを、
だんだん知れてきたよ。

 

その中の、ほとんどは、
ハタチになった今でも、これからの夢であり続けているけれど、
例えばあなたが大好きだった一人の先生と
卒業後も一緒に仕事する夢とか、
無理だと思っていたようなことが、
その時期になるとすんなりと実現されてたりするよ。

今日メールを読んで、冷静になって、
「あれ、これ高校の時すごく望んでいたものだ」
って気づいた。

先生にも私の意志を伝えてたけど、
「まぁ無理だよ」なんて軽くあしらわれていたようなことが、
まさか向こうからお願いされる、なんてことがさっき起きて、
ほんと、誰から見ても大したことないことなんだけど、
昔の私が聞いたら大興奮しちゃうようなことが、
ちゃんと現実になってるってわかった。

 

願えば、意外と叶うし、
それを知ってるから、
無謀な夢もまだ諦めきれないんだよね。
でも諦めなくていいと思う。
どんな夢も、人に言っても言わなくても、
ちゃんと熟成させれば、
きっとなんらかの形で、時間はかかっても、ちゃんと叶うと思うよ。


気づいたら叶ってたりする、っていう、
そういうセリフ、夢を叶えてきた大人たちがよく言うけれど、
私の身にも、小さくとも起きてるから、
結構、生きるのって楽しいよ。

 

というか、楽しくなってきたよ。

 

 

そんな私は21を目前にして、
また新しいこと、
今まで途中で諦めてしまったことに挑戦しているし、
いくつになっても、
やりたいことをやって、
自分で自分の夢を大事に叶えてあげて、
もっと楽しい人生が送れるといいね。

あと、
辛くなる恋愛とか人間関係とか、環境とかから、
生き延びるためには逃げてもいいっていう、
そういう理論が割と蔓延してくるよ。
ライオンキングの逃げた理論書いた私すごいなって過去の私に言いたい。
でももうちょっと文章力つくといいね。だからこれから私頑張るね。

ここ最近でハッとした言葉Best5 第5位☞「未来に先回りして不幸になるのはバカ」

毎日唱えて忘れないようにしたいほど、


最近の私の意識改革をしてくれた言葉たち。

 


忘れないために書くよ。

 


きっと、自分がハッとする言葉にも、


自分にとっての賞味期限があって、


今出会ったから心に刺さったし、


時が経てば違う言葉に惹かれているんだろうと思う。


だから、
今好きな言葉を書き記すことは、


匂いが記憶を呼び起こすのと同じように、


それだけで、その時何を体験して、

どんなことを思っていたのか、


そしてそこからどういう行動をとるようにしたのかがわかる、


私の栞になるんではないか。

 


ということで、5位から(人名敬称略)。

 


第5位「未来に先回りして不幸になるのはバカ」-恋人


うん。その通り。
私の恋人あまりにいいこと言うんだよ。
私は先回りして今から不幸になる、
もしくは不幸になる準備をすることがよくある。
それは良くないっていうか、ほんと、ただのバカ。
シンプルな言葉って、持つ力も強い。
ズシンとくる。

 


第4位「腐らない人が、ちゃんと分け前をもらえる」-ジェーン・スー


これはジェーン・スーさんのラジオでのお言葉。


感銘を受けてしまって、つい書き起こしてしまった。


腐らないっていうのは、
何を指してるかわからないけれど、
私の解釈としては
・希望を捨てないこと
・生き続けること
だと思う。


それをしていればきっと…


今よりいくばくかは良くなっていって、


気づいたら、ちゃんと、

分け前をもらえている。
そんな社会にいるから大丈夫。

今、何も生み出せていなくても、


腐らずいるだけで、生きてるだけで、

とりあえず、大丈夫。
だから、生きようって、
そう思える素敵な言葉。


毎日、「生きよう」と思えるように、


生きる選択を意識的に行ってる今の私なので、


本当に励まされた。


苦労して、病気になってまで得られるものがあるのか、


全くわからないために先回りして不幸になる私に、


「でも分け前をもらえる社会に生きてるんだから」
と思える、

お気楽な私を創り出してくれたんだ。
ありがとう、スーさん。

 


第3位「もう一回劇団受け直したかったの。東京っていう劇団を。」-マキタスポーツ


許可局(東京ポッド許可局というラジオ番組)員になって

まだ日が浅い私ですが、


この一ヶ月ちょっとで110を超える論を聞いてきて、


もっとも好きなのが、


2013年6月29日放送の「上京論」。

 


これ、本当にいい話なんだよ…。
びっくりするよ…。
いやね、私は東京生まれ東京育ち、


その中でも結構都会な育ち方をしてきたと思ってるので、


「何をお前が」と思われるかもしれない。

 


ちょっと私の話をさせてくれ。
なぜこれに惹かれたのか。


私なりの上京論。

 


二年前の冬、

劇団東京で大きな怪我をした私は、
逃げるように、

その怪我を治してもらいたくて、


劇団米国に逃げ込んだ。
米国でも、


そんな生半可な気持ちで行っただけに(それでもその時は必死だったんだよ)、


怪我したところは余計に腫れて、


泣きながらその地をあとにした。


私の故郷は東京で、


帰る場所も東京にしかないけれど、


一旦、奈良という古都で小休止。


その後、東京に戻ったけれど、


到底劇団を受け直せるほどの元気もなく、


1年たってもその怪我は治らず、絶望した。

 


それでも、

なんとか劇団東京を受け直したくて、


絶望を希望に変えてやるって、


劇団東京に溶け込めるように社会人になろうとした。


でも、うまくはいかなかった。


絶望を希望に変える社会人を演じきれなかった。

 


そもそも怪我を治療していないから、


いつもそれが足かせとなって、

私を立ち止まらせることになった。


東京にいながらも

劇団員としては一人前にもなれずに、


強い意志を持って出てきたはずが、


いい天気の日も、悪い天気の日も、


唇の皮を剥くような、

そんな日々になっただけだった(でも、シャワーは毎日なんとか浴びていたけど)。

 


これからどうしたらいいんだろう…
と、

毎日不安と焦りでいっぱいで、


その思いからくる行動がまた自分を狂わせ、


たくさん転んだ。


怪我はなくならない。


怪我した箇所が小さくなれば、


それに安心しきって大きく一歩を出しすぎて、

また怪我をしていたからだ。


だけど、
今活躍しているマキタさんにも、


そんな時代があって、


つまづいて、


山梨に帰ったりして、


でも再度受け直したくて帰っただけで、


実際ちゃんと彼は劇団東京を受け直していた。

それがわかった時に安心した。
そうか、
受け直せばいいんだ。
劇団東京に入る準備をしたっていいんだ、


今はその時期なだけ。準備期間。

だから私も、
また、劇団東京を受け直そう。


そう思える。


 

まだまだ頑張れる。

まだまだこれから。どうにかなる。


2015年の冬、


10分どん兵衛で彼の名前を知っただけの私だったけど、


その1年後には、彼から勇気と希望をもらっていた。

 


第2位「頑張らないと親に似る」-マキタスポーツ


<blockquote class=“twitter-tweet” data-lang=“ja”><p lang=“ja” dir=“ltr”>「頑張らないと親に似るっていう持論があるんです。頑張っていると、いろんな人に影響を受けるとか人に心を開いたりして頑張っていれば親と似ないで新たな人格形成出来るんですけど、ほんとにほっといたら親にしか似ないよ」(2014年2月8日思わずツイートしてしまいました) <a href=“https://twitter.com/hashtag/tokyopod?src=hash”>#tokyopod</a></p>&mdash; 東京ボット許可局 (@tokyobot_kyoka) <a href=“https://twitter.com/tokyobot_kyoka/status/433424455201607680”>2014年2月12日</a></blockquote>
<script async src=“//platform.twitter.com/widgets.js” charset=“utf-8”></script>

 


「頑張らないと親に似るっていう持論があるんです。頑張っていると、いろんな人に影響を受けるとか人に心を開いたりして頑張っていれば親と似ないで新たな人格形成出来るんですけど、ほんとにほっといたら親にしか似ないよ」(2014年2月8日思わずツイートしてしまいました)

 


またもやマキタさん。
今一番好きな芸能人はマキタさん。なので許して。
(スー女史はタイ。)


頑張らないと親に似る。クソほどの名言。


あ、こういう表現もうやめるんだった。

口が悪い。


でも本当使わせて。ね。

本当名言じゃんこれ。

 


私はどうしても親には似たくない。
親以上に、祖母に似たくない。


似たくないって思うところを
似たくない!

って必死に思わないと、
ほんと、似る。

気付いたら似てるから。


いい似方もあるけど、たいてい恐ろしい似方だから。


尊敬できるところも、
いいところも、

あるんだけど、
親は世界一の反面教師と思っている。


感謝とか、そういうのは別の話である。

 


中学生の時、
尊敬する人の話をして、


「その人と同じくらい親のことも尊敬してくれるといいんだけど」


と言われて、


「それ自分でいうなよ…」

って思ってしまったが、


性格悪いかもしれないけれど、
ここで思ったことは、

今でも間違ってないように思う。


私の場合、

まだ生まれてないのでわからないが、


もし自分の子供が、


尊敬できる人や憧れの人を外部にたくさん見つけてくれたら嬉しい。


子供って、
自分と、自分の愛する人の2分の1なわけで。


それってすごくない?とこの前友達と話していた。


人類の歴史上、


「この人と子孫を残したい」
と思える人と

遺伝子を組み合わせてできた最強の子が、


また新たにどこかの優秀と思える人との遺伝子をかけあわせ、


またその子がどこか新しい素敵な人と…

 

っていうのを繰り返して、


今の自分がいて、つまり、この理論上では、


自分ってのは、家系史上最高の遺伝子であると言ってもいいんじゃないか。


で、そんな自分が、
より最強の子供を産み落とすわけでしょう。


最強がもっと最強になるために、


たくさん視野を広げてほしいし、
刺激を受け、荒波にもまれ、
たくさんの経験をして、


最強の遺伝子×最強の見聞=最強の人間
になってほしい。
だから、そういう意味で頑張ってほしい。


すでに最強の遺伝子だから、
見聞は頑張ってほしい。


そのための環境を整えてあげられるように、
今のうちに私も頑張りたい。


子供が生まれたらの話をしてしまったけれど、

私も、家系史上最強になるために、


今のところ子供が生まれてなくて
末端子孫の立場なので、

頑張って、
いい意味で親に似ないようにしようと意気込んでる。


割と最近毎日これを意識していて、


だから、自分の無知さに顔が赤くなる時も、
心がえぐられた時も、


「成長の証だ」と思って乗り越えるようにしている。
傷から目をそらさないように。


だって、傷から目をそらしてばかりでは、


いつだって安全地帯にいようとして、
気づけば親に似るから。
「頑張らないと親に似る」っていうのは


親だけを批判しているように聞こえるけれど、


そういうことじゃないんだよな。


うちの家系が引き継いできた

要らない慣習や性格を
なるべく取り除き、


他者を受け入れ、

他者によって影響を受けまくって
より良い自分の世界を作っていけよ

ってことだと私は思う。

 

全ては自分と、
その先の未来に生きる子達が豊かであるために。

 


第1位「だからなんだって話」-恋人


汎用性が高い!!
堂々の第1位!

恋人いいこというんだよ…。
聞いた当初は「心無い人だな」と思ったけど、

違うわ。


そんなことないです。


そんなこと思ってごめん、この場で懺悔。


自信をつけたいという私に


「自信がないからなに?だからなんだって話だよ」


と言い放つ。


そんなこと言われては、


私の思いが否定された気になって、苦しいよ。。


とでも思ったのだが、

なにを勝手に苦しんでいるのだ。


だからなんだって話だ。


苦しんでもいいけれど、別に苦しまなくてもいいんだぞ。
だって、自信なくてもいいらしいから。


今年の頭、
自分には大きな無価値感があり、

それが私の心のブロックになっていると
わかってから、


毎日なるべく「自分には価値がある」

って思いこもうと頑張っていたのだけれど、


割とこれはすぐぶち壊される観念だった。


拭えない無価値感、止められない自信の喪失。

 


“Fake it till you make it”(なれるまで演じろ)

という言葉があるが、


これ、自分に嘘をついてでも頑張るんだっていうことじゃないと思う。

 


「そうだよ。そうだけど、だからなんだって話」って、


makeできずにfakeしてしまう自分を認めて、


makeできなくていいから進めよ

っていうことなんじゃないかな。


makeのためにfakeがあるのではなく、


makeできないから、

それを認めながら行動し続ける=fake

なんかな。
ま、私の見解ですが。


毎日、壊れそうな自分を認めずに


「私には価値がある…」

って無理やり思い込むんじゃなくて、


「ま、それでいいか」って思っていいのね。


楽だし、全ての出来事が楽になるお言葉だよ、これ。


「失敗したって、だからなんだって話」


失敗を恐れて行動できない今の私に贈る。


いいよ別にいっぱい失敗したって。
「失ったからって、だからなんだって話。」
「自信ないからって、だからなんだって話。」


あー、これ、めっちゃ楽。
大丈夫大丈夫。
なんにもなくても大丈夫。
ね。
だから思いっきりやってしまおう〜。

 


チャンピオン「自分を大切にしてないなって過去の行動を後悔するのは、自分を大切にしていないよね」-恋人


チャンピオンは別格の言葉。
ライムスター宇多丸さんラジオ番組内の、


今年の映画Bestをあげる企画で、
チャンピオンという項目を設定していて、
それに倣って、私も別格枠を設定。
これはね〜…すごい思想だと思うんだ。
驚きすぎて、
目から鱗が落ちまくった。
あまりの衝撃度に、


そのあと行ったカウンセリングでも、


カウンセラーさんにこの言葉を言われて感動したという話をしたら、


カウンセラーさんも感動してた。


臨床心理士さえも「なるほどね…」とこぼす、この名言。


私が恋人のWikipediaを作るとしたら、


確実にこの言葉をどこかに入れるだろう。


さっきもお話ししたけれど、


二年前、大きな怪我をして、以来たくさんの挫折を味わった。


そろそろ、自分を大切にしたいし、


自分を大切にする自分でありたいと思った。


でも、そう思うのに、


まだうまく怪我を治せない。


自分を大切にしたいという思いが強くなればなるほど、


日常的に「こんなはずではなかったのに」

という感情に敏感になり、


それが余計に私を苦しめた。

 


それをある時伝えた。
すると彼は、


「自分を大切にしたいって言いながら、自分を大切にしてないなって過去の行動を後悔するのは、自分を大切にしていないよね。
だって、その時その行動を選択したのは、その時考えうる最善を選んだだけで、その行動を否定したら、精一杯行動した自分を否定してることになるから、大切にしてないじゃん」


と言った。


感動した。


救われた思いがしたし、

それまでの悩みが一気に軽くなって、


なくなったとまではいかないけど、


大きく膨れ上がった見えない巨大な仮想敵が
とんでもなく小さな虫けらだとわかったような、

そんな感覚だった。


そうか。
自分を大切にするって、


スローライフを実践するとか、


そういうことよりも前に、


自分の過去と現在を認め赦すことなんだろうな。


赦しには大きな勇気が伴うって、


どこかで誰かが言っていた。


誰を赦すよりも、


自分を赦すことのほうが相当難しいから。
だけど、それができたら、自分を大切にできた証拠。
自責癖があるので、
つい忘れがちになるけれど、


絶対に忘れてはいけない、忘れたくない、
そんな言葉がこれ。


よし、私は私を大切にしよう。

他人の鏡から、私の私に。

なんだか謎なタイトルですね。

 

 

前回、

「私にとっての私の価値判断基準が尊敬する方に認められるかどうか、になってしまった」というようなことを書きました。

 

 

 

そこからまた少し自分のことを考える時間を持つことにした時、

確かに私は、その方とそこまで近しい関係でもないのに、

尊敬する方が私をどう思ってくれるか、ということに焦点を当てて生きて来たけれど、それだけではないとさらに気づきました。

 

ブログを書いて自分の気持ちをはっきりさせてみると、

尊敬する方だけではなく、

私ではない他の誰かが私をどう見てくれているかが私の価値を決めています。

 

 

私という人間が、他人の鏡になっていたように思うんです。

 

 

誰かが私を嫌いなら、私はその程度の人間で。

誰かが私を好きでいてくれるなら、私は価値があって。

誰かが私を劣っていると判断すれば、私はそこまでで。

誰かが私を認めてくれるなら、私は勇気が湧いて。

 

 

書き起こして余計に感じるのですが、

自分が常にブレていました。

 

だから、ちょっとやそっとのことで

ものすごく気が滅入ってしまって、

感情の起伏が激しくて。

そんな自分が嫌いでした。

 

すぐに必要以上に落ち込んで、

その落ち込みが自分の思考や行動を制限して、可能性を狭めていって…。

 

 

 

体や年齢は成長をしているはずなのに、

どんどん自分を傷つけて子供のように泣くことが増えた気がします。

 

自分を自分で肯定できないから、私以外の誰か、例えば親とか友人とか先生とか、

そういう存在が私を決めてくれるんだと思っていました。

 

 

たぶんそれは、

自分のアイデンティティーを受け入れられなかったことや、

子供の頃にしていた周囲の人間の愛情に対する勘違いなどが影響していると思います。

 

 

 

自分の血とか、自分の性別とか、人より嫌われる特徴を持っているから、

常に人より何か優る点がないと愛してもらえないんだと勘違いしてきたんですね。

 

今でもそう思ってしまっています。

 

だから、常に人と比較して、

そんなことをしても自分の心は報われないのに、

自分で自分をいじめるのがだいすきな人になりました。

 

 

 

完璧主義というわけではまったくないけど、

とにかく学業でも運動でも才能でも芸術でも、

人より優れたことをしていないとダメなんだって思い続けて。

 

でもそれって疲れるし、相当気を使っちゃう。

気づかないうちに。

だって私、何かで一番になったことってほぼないし、

じゃあ何かで一番になったところでその状態が一生続いて、それで自分を保っていっても虚しいだけだし。

 

 

 

でも、本当にハードルを下げるなら、

人より優れているかどうかっていうことに神経使わなくても、

自分が自分であることで嬉しいことは沢山あります。

 

 

 

例えば、五体満足で生まれてきたこと。

どこにも障害がなければ、女としては丈夫な体をもっていると思います。

私は自分の足で歩いて、走って、立って、上り下りをして、

自分の意思で手を自由に動かせて、こうやってキーボードを打って文章を書いています。

 

例えば、血のつながりを持っている両親と兄弟がいること。

父と母がいるという喜びを知っていて、兄と弟までいます。

姉か妹が欲しかった私ですが、今思えば、兄と弟が結婚してくれれば、

義理の姉と妹というつながりもできます。

 

例えば、人に恵まれていること。

すばらしい人が周りにいてくれたおかげで、すぐに誰かと比較してしまう私は自分が嫌いになったりもしたけど、

そんな私を受け入れてくれる心優しい友人が沢山できて、

アメリカにきても文通をしたりできる大切な友人までもがいて、

私の将来に大きく影響を与えてくれる尊敬する人を見つけられました。

 

 

 

五体満足だよ、私。

喜怒哀楽を自由に表現できて。

今日もこの世界で生きられて。

 

 

こういうことに喜ぶことでいいはずなんだよね、生きるって。

 

 

私は何かに秀でているわけでもないし、

できないことは本当に沢山あります。

それを後ろめたく、恥ずかしく思ってきた自分。

 

 

でも、沢山の友人や周りの人を見ていて思うことは、

私には欠けているものがあるから、

それを補ってくれる存在がいて、

そうやって助け合えるからこうやって世界はできているんだろうなということ。

 

こんな当たり前のこと、

この世の中で生きていると何度も忘れそうになります。

 

 

 

私はがさつで、手が不器用で、不真面目だし、わがままで自分勝手で…

頭脳も外見も性格も、すべてひっくるめて自分が大嫌いでした。

 

 

 

でも、それを補ってくれるかのように、

繊細な人と知り合いました。

器用にモノを扱える人も知っています。

真面目な人は数え切れないほどいます。

いつも人のことを考えてくれる優しい人に沢山知り合いました。

 

 

そして、

自分が愛せない、そんな自分さえも愛してくれる人が現れました。

 

 

なんて幸せなんだろう。

 

 

ハードルを下げた見方なのかもしれないけれど、

すべての幸せの根底はこういう、単純なものなんじゃないかな。

 

 

 

それでも、たぶんまだ、今の私には自分を受け入れることとか許すことに問題はあるんですけど、

自分が、母親という存在になるまでには、いや、それより早くにでも、

心から「私は私を許し、受け入れ、尊重し、誇りに思い、愛している」と言える存在になれると確信しています。

 

 

そうして、いつか、自分の愛する子供に、その子がどんな体でどんな性格でも、

「あなたが私の子供として生まれたことが、人生の歓びで、どんなことをしても、どんなことを感じても、そのあなたを愛する私がいるから、好きなように生きればいいんだよ。」

って、そういうことを教えられるお母さんになるのが夢です。そのお手伝いをするために精一杯子供を愛してあげるのが夢です。

 

いつか、私と縁があって、自分のことに悩んでる人に、

「あなたがどんなことで悩み苦しみ、自分のいやなところが沢山見えてしまっていても、あなたは愛される資格があって、幸福に生きる義務があってこの世に生を受けたんだから、自分の好きなことをたくさんして、人を気にせずに自分の中に『好き』を満たしてあげて。」

って、そういうことを伝えてあげられる誰かの友人になるのが夢です。そのお手伝いをするために精一杯その人と楽しいことを共有するのが夢です。

 

 

世間の固定観念にとらわれて自分を愛せなくなっちゃうのはすごく寂しいし、悲しいから。

 

 

 

 

とりあえず今は、これでいいや。

 

自分を許せない自分を許すんだ。

自分を許せない自分を許せない自分を許すんだ!

 

この私の経験と思いが、いつか、そう遠くない未来に、

誰かの役に立ち、誰かを助けられることを願って。

そして、芯から私が私になれることを願って

だいすきなわたしへ

私には中学の頃から尊敬している方がいます。

彼を追って、彼のようになりたくて、少しでも近づきたくて、

ここまで生きてきたと言ってもいいくらい、

私の今のところまでの人生で大きな影響を与えてくれた方です。

 

私は私の尊敬する方のおかげで夢ができたと思ってきたし、

その方のおかげでいろんなことに挑戦しようと思ってきました。

すごく感謝しているし、今でも変わらず大好きです。

勝手に、人生の恩師だと思ってきたくらいです。

 

中学の頃から、とにかく追える範囲で追って、

周りの友人に何て言われても、

冗談で彼への感情が恋愛に捉えられることがあっても、

それでもいいからとにかく少しでも近づきたかったんです。

(もちろん恋愛感情はないです!)

 

彼のすること全てが私には輝いて見えて、

どんどん上を行く彼を一日たりとも意識し忘れたことはありません。

そういうと、友人に「それは嘘でしょ!」なんて言われたこともあるけれど、

本当に、毎日ほんの少しの時間でも彼の存在を意識し、尊敬の念を抱きながら過ごしてきました。

 

ただ、私にとって、それが必ずしもプラスに働いていたわけではないことに、

本当に今日、たった数時間前に気づきました。

アメリカに来ていなかったら気づけていない発見だったと思います。

これから先は私の尊敬する方への批判のつもりは一切ありません、というか、今もやっぱり大好きです。

ただ、自分がこれからどうあるべきなのか考えるのに、自分の中でしていた彼への向き合い方を変える必要があると感じ、

考えをまとめるためにも、超超超久しぶりにブログを書くことにしました。

 

 

 

私にとって、彼という目標にしたいと思える方が現れてから、

自分の人生にまた一つ鮮やかな色が足されたように楽しくなりました。

 

尊敬する方に近づきたくて、

その方がやっているようなことの真似事をしてみたり、

その方と出会ってなかったらやっていなかったようなことに挑戦してみたり、

そしてそうやって挑戦することが楽しくて、

決してその方のレベルに達していなくても、

そんな自分に満足していました。

 

でも、その反面、その方の真似事をしながらも

全然その方に近づけていないこともわかっていました。

ただ、だからこそ、私なんかが近づける存在じゃないってことを実感できて、

その方への尊敬の念を募らせていってくれたように思います。

 

彼の仕事ぶりをネットや人づたえで知るたびに、

私はそれをしれた喜び(そういう情報が伝わるくらいには彼の近い距離にいれているんだという勘違い笑)を感じ、

「ずっとこの人についていこう」なんて、そんな風に思っていました。

 

そして、何かの機会があって、

その方と対面できた時なんかは、もう緊張で言いたいことの3割くらいしかいつも言えなくて。

体温が上昇するのがわかって、

興奮しているのを抑えるのにただただ必死で、

嫌われたくないから言葉を選ぶのに集中しちゃって、

自分が何を言っているのかなんて後になると全く覚えてないくらいで。

こんなに何度も会っても緊張しちゃう人、私の人生でこの方だけだなあって。

でも、それでも、本当に大好きで、心から尊敬していて、

たとえほんの少しでもこの目でその方の姿を見れることが本当に嬉しくて。

まあこんなん、確かに「好きなの?」って茶化されても仕方ないですよね(笑)。

 

 

ただとにかく、私もこの方に近づきたいって常々考えてきて。

 

実際に会えることで彼の考えや言動に触れて近づけるんじゃないかとか。

彼の考えを何かの媒体を通して知ることが彼に近づける近道なんじゃないかとか。

 

それで、彼の考えと自分の考えの似ている点とか、

自分の考えていたことを彼も同じように考えていたと知った時なんかは、

「やっぱり私はこの人を尊敬し続けるんだろうな」って嬉しくなりながら、

でも彼を尊敬し始めてから色々と影響を受けているのは私だから、

考えが似ているというか、私が似てきているんだろうなというだけなんですけど。

 

 

考えが似出した次は、

もっともっと彼に近づいていけば、

彼に認めてもらえるんじゃないかって、そういうことを考えるようになりました。

 

だから、彼のやっているようなことを私もやってみたくなって、

できる範囲のことはやってみたり。

力量の差を感じながらもね。

 

そうやって、彼のことを追い続けて、

ちょっとずつ向上している自分を感じて嬉しくなる反面、

先ほど書いたように

「こんなことしたって、私は彼にはなれないし、私の価値は変わらない」という

否定の気持ちが出てしまうようになりました。

 

それは、はじめのうちは小さいものでも、だんだんと大きくなっていっているのは、

自分も少しづつ感じていたと思います。

 

 

「これを頑張っても、私は彼にはなれない」

「これに力をいれたって、彼は私を認めてくれないだろう」

と、自分の行動の価値判断基準が、私の尊敬する方が私を認めてくれるのかどうか、ということになっていっていました。

 

けれど、そんなことを考えたって、

私と彼には結構な年の差も、学歴の差も、社会での価値の差もあるから、

近づけるわけもないんだろうな、と諦めた感情も出ていたことも事実で。

 

じゃあ、性別も年も学歴も社会的価値もなにもかもが違う私が、

少しでも近づける道はなんだろうと考えた時、外見を磨けばなんとか可愛がってもらえるかも、なんて勘違いしたりもしました。

 

結局、私は自分の才能もなにもかも彼に比べて劣っていると認めて、

自分は劣っているから彼にまだ近づけないんだと卑屈になって。

だって、彼と近しい存在の人たちはみんな才能に溢れた人か、世間的にも認められている人か、とっても美人で可愛くて才能もある人かで、

私はどれにもあてはまらないから、彼に認められるためにももっと自分を高めなきゃと焦燥感でいつも胸の中はいっぱいでした。

 

 

尊敬という感情が、志を高めることに足して、自分をけなす方向にも働いていたんです。

だから、「彼はきっとこの仕事量でもそつなくこなせるだろうに」なんて考えると彼への尊敬の念が増す一方で自分が嫌いになりました。

「彼は国立出なのに自分は私立文系志望で、彼には勉強でもかなわないのか」と考えると、やっぱりあの方はすごいなと感じる反面自分の頭脳不足に嫌気がさしました。

「彼の近くにいる人間はみんな綺麗で才能があるのに私にはなにもない、そんな私が彼に近づけるわけがない」と、自分を否定して言い訳して自分を否定していました。

 

 

 

自分を卑下し見下すことで、彼をますます神聖視していました。

また、彼に外見でも中身でも才能でも、とにかく認めてもらってる私と同年代くらいの人間を勝手に嫉妬していました。

 

それで、彼を尊敬しはじめて五年が経った今、

私は自分のことが思った以上に受け入れられていないことに気づいたのです。

 

 

彼に近づきたかったのに、

全然そうなれない自分がいやで仕方なくて、

どうすればいいかわからなくなって、

パニックになって、

自分を苦しめて、

自分の方向性もがわからなくなって、

自分の未来が真っ暗闇に見えたりして、

それが辛くてそれから早く脱したくて、

人と違う留学という道を選ぶことで、

自分に自信がつけられる気がして、

それにむかって歩んできて、

でもどうしても留学を決めてからも違和感があって、

とうとうここにきて気づきました。

 

 

 

私が私の人生の主人でなくなってたんです。

 

何をするにも、尊敬する方を念頭に置いて進んできたから、

頑張り方を、自分の愛し方を間違えてしまったんです。

 

彼のせいではないです、そして、私が悪いわけでもないと思います。

こういう間違いってきっとまだ子供のうちはしちゃうものだと思うから。

 

彼を尊敬し続けてきたことを間違いだとは思いません。

彼あってこそ今の私がいると思います。

でも、尊敬することと、自分を見下すことは違うのに、それを一緒くたにして自分を扱っていたんだと気づいたんです。

 

自分に自信がなくて自信をつけようとして人と違うことや新しいことに挑戦しようとしても、そんなのいくらがんばったって自信がつかないんです。

だって、自分の悪いところにしか目がいかないんですよ、そういう時って。

新しいことや人と違うことだからこそ、その特別性から、その道に秀でた人が余計目立って見えて、

自分の価値をもっと下げてしまっていたんです。

自分の才能や可能性を人と比べて狭めて。

 

五年間、どんどん大きくなっていった劣等感。

 

私はこいつとこれからうまく向き合わないといけないなと感じました。

だから最近、自分のことを好きになることにすごく力を入れ始めました。

 

そして、この気づかぬうちに大きくなっていっていた劣等感をひしひしと感じ、必死に戦うことに決めました。

 

自分を認め、自分を許し、自分を愛することがどれだけ難しいか、

毎日感じています。

 

自分を褒めて自分にポジティブな言葉をかけてあげることで強気な自分でいることに集中したいのに、

朝起きると自分に幻滅して、ただ自分の人生を生きているだけなのに、自分が嫌いで仕方ない瞬間を頑張って押さえつけて、

またポジティブに頑張る。

 

アメリカにきたことで、これまで頑張ってこなかった分、

余計に自分の劣った部分がたくさん見えるようになりました。

 

劣等感を感じることはもう得意分野だったから、

とにかくそれに打ち勝つ自分の強さを出すことに必死になって。

 

 

そうしている毎日でした。

 

壁にぶち当たるたびに尊敬する人の顔を思い浮かべ

「近づかなきゃ」と自分にプレッシャーをかけて励ましてきました。

 

でも、私はもっと私を大事にして私を許してあげて私が私を認めるために努力したいです。

 

 

私の尊敬する方って、本当に素敵な方なんです。

頭が良くて、ユーモアがあって、志が高くて、他人思いで、とても謙虚で、でも人間らしくて、本当に、とても魅力的なんです。

 

 

でも、他人を勝手に自分の人生の主人公にしたり、勝手に自分の思考の司令塔にする必要なんてなかったのに、って今更、本当に今更気づきました。

 

尊敬がいつしか崇拝になっていました。

 

 

もう、そろそろ自分のために私を大事にできるといいな。

彼に認められなくてもいいから。

彼を尊重する気持ちは変わらないけれど、

私は私を大切にしていきたい、

本当に自分が心からやりたいと思ったことに奮闘して生きていきたいです。