どうせなら私も笑いたい

人が落ち込んだ時、

どういったやり方で出来事を受け止め、

持ち直そうとしているのか、

大いに気になっている最近です。

 

みんな、どうやって生きてるんだろう。

 

よく知らないけれど、

生きてるってことは、

ちゃんとそれを乗り越えて

諦めずにここまできているってことで、

それは本当に格好いいし、すごいことだと思います。

 

私はもうやりきれません。

終わりにしたい。

 

嘘です、嘘!

 

頑張ってやるぞー。

 

 

 

最近は、

人の生き方に興味があるし、

生き方を模索し続けている気がします。

 

きっと、こういうのを中学生・高校生の時に

やっておくべきことだったんでしょうが、

あの時は夢しか見ていなかった。

できないことなんかないと思ってたし、

辛いこともなんとなく見て見ぬ振りしちゃうような感じで、

しっかりと現実と向き合ってこなかったから、

今こんな感じになっちゃってんだろうな。

 

図書館で中高生向けのオススメ本をメモしたり、

映画で人の生き方とか考え方を吸収したり、

友だちに会ってそういうことを聞いたり、

そんな日々だなあ。

 

 

外に出ると絶望ばかりですが、

絶望の裏には希望があることを知っているから、

だってそうでしょ、絶望しかなかったら終わりじゃん、

希望があるから絶望するんだ、

だから私はまだ諦めません。たぶん。

 

 

 

毎日が、実験で、

本当に失敗続きで、

でもそれは、

このさき何十年と生きるための、

これから迎える新しい日々をよりよくするための、

ハウツーを充実させるための、

そのための実験をしているんだと思います。

 

こういうストレスがかかったら命の危険につながるとか、

こういうトラブルはこう避ければよかったのかとか、

そういう風に。

 

 

でもなあ、

失敗ばかりを知る人生は嫌だな。

 

早く飛び立ちたい。

 

 

エジソンの言った

 

I have not failed. I've just found 10,000 ways that won't work.
(私は失敗したことがない。ただ、1万通りの、うまく行かない方法を見つけただけだ。)

 

って言葉を借りるなら、

私の場合の実験では、

毎日失敗したとしても

27年は失敗続きの日々でもいいみたいだから、

ああ、でも果てしないな。

 

今日を生きるのがしんどいと、

未来のことも嫌になって、

全てをぶち壊したくなるんだよな、

いいことないのに、そんなことしても。

後で後悔するのに。

 

だから、

みんな、すごいなって思うよ。

本当に。

ちゃんと生きてるの、すごいよ。

なんでだよ、なんで自分にはそんな簡単なこともできなくなったんだろうね。

 

理由はいくつかあるけどね。

疲れたなあ。

 

終わらないかなあはやく。

惚れたら勝てるはず

「惚れたら負けよ、そうかもしれない。

愛するよりも、愛された側は楽だ。

雨の中で待ちぼうけを食わされることもないし。

でも、いっぱい恋して、一所懸命になったほうが、

自分の恋の主役をはれる。」

 

佐藤真由美 - 乙女心注入サプリ

 

 

 

新しい概念に出会った。

いつも、人からは「惚れたもん負けだ」って

そう聞かされるし、

自分もそんな気がしてた。

 

両思いになれば、

どっちも惚れてるんだから、

勝ち負けじゃないよって

思うこともあるけれど、

どうやら最初に惚れた方が弱いものらしい。

 

何が弱いのか、というと、

多分、我慢することが多いってことなんじゃないかと思う。

好きになっちゃったから、我慢。

 

でもそれって辛くなるだけだから、

負けているんだよ。

誰にっていうか、自分に。

 

 

 

それが惚れた方が負け、という理論なんじゃないかと思う。

 

 

 

そんなことを考えた。

 

次にはじまる恋愛では、勝ちたいな。

どっちから好きになろうと、

どっちも好きになった時点で、

自分を我慢しないで、

二人だから作れる関係性を楽しんでいられるような。

 

 

 

 

 

もう一つ考えたことがある。

 

いい男の定義ってなんだろう、と。

 

今でも、私が今までお付き合いした男性は、

みんな、いい男だったと言えると思う。

 

他人がどう言うかは知らないが、自分はそう感じる。

 

 

でも、どの人も、

性格も、年齢も、年代も、出身地も、出身校も、家族構成も、

思えば全部違う。

 

それでも私は、

いい男の人と付き合った。

みんな違くても。

 

 

他人からみて、

自分の恋人が100点満点にみえたことはないかもしれないけれど

(これは私のプレゼン下手も関係する)、

やっぱりどう考えてもみんな、いい男なのだ。

 

 

そこまで何もかもが違ってもそう言えるのって、

なんとなく、

別れたあとも、応援したいし、応援してくれるような、

そんな人だったという点は共通しているからかなと感じる。

 

 

 

いい男の条件というのは人によってまちまちだから、

ぜったいなんてないと思う。

 

たとえば「誠実」って何を持ってそういうか、

人によって違うじゃない。

 

誠実な人がいいのかそうじゃないかもあるけれど、

誠実な人でも、

浮気を隠すのが誠実なのか、

浮気した時正直に話すのが誠実なのか、

そこだって違ってくるし。

 

 

 

さっきお風呂の中で私が考えていた、

”いい男”ってのは、

目の前にいる大事な人をちゃんと応援してくれる人な気がした。

別れた人でも、ちゃんと応援してくれる人(私だから応援してくれるだろうとかそういうことじゃなくて、誰であろうと)。

そして、付き合っていても、別れたとしても、

こちらも応援したくなるような人。

 

 

それが私の中でのいい男なのかな。

 

 

 

 

紐解くと、

応援したくなるって、

つまり一生懸命いきてる人なのかな。

 

目の前のことにちゃんと目を向けて、

頑張っている人のことをいうのかな。

 

応援してくれるって、

人の本質とか強さをちゃんと見抜いて、

人を信頼する人のことをいうのかな。

 

 

応援したいし、

応援してくれていそうな、

そんな人たちと、

私は恋愛してきたと思う。

 

だからいい男の人と恋愛したと言えると思う。

 

ちゃんと、自分の恋の主役として、恋愛してきたと思う。

相手が脇役だったとかじゃなくてね。

 

自主性を持って、選びとって、

恋愛した。

いい男の人と。

 

 

そんな気がするんです。

わかりませんけど。

もしかしたら、恨まれているかもしれないけれど。

 

 

 

 

関係ないけど今日19.5km歩いた。

日に日に東京の道に、強くなる。

 

方向に弱い男性を引っ張っていけるたくましさはあると思うよ。

 

 

 

東京の、私のすきな街

今日は大好きな地に降り立った。

本当に大好きな場所に。

 

 

中学生の頃から、

好きでなんども通っていて、

今でも降り立つたびに喜びに溢れる場所。

 

 

今日も、

その土地にいけるというだけで浮き足立っていたな。

駅に着いたら、思わず笑っちゃって。

 

今日のこれからの用事にウキウキしながら、

緊張も人並みにして、

でもやっぱり好きと楽しいが溢れて、

しまいこむのが大変だった。

 

 

 

この場所が好きで、

この場所で働く人が好き。

 

東京が好きな一番の理由は、

東京にここがあるから、

といってもいいかもしれない。

 

私には、そう感じる土地が東京に複数ある。

中でもここは特別で、

来るだけで士気が高まる気がする。

一旦、何もかもがリセットされて、

気持ちを新たにできる。

 

去年の冬、

人生ではじめて

東京のことが嫌いになった。

 

渋谷や新宿の人混みを見るだけで帰りたくなった。

 

どこかで誰かと会うかもしれない恐怖感が

顔をうつむかせた。

 

 

 

けれど今では、

やっぱり東京を愛している。

東京と、東京を形成する人が好きでどうしようもない。

 

この、最上級のヘイトから、

人生最大のラブを東京に感じるまでになった

そのきっかけの一つが、

この土地なんだと思う。

 

 

この土地に来ると、

どうしようもなく高揚する。

その魔力にやられて、

東京が嫌いだなんて、言ってられなくなった。

 

どんな別れよりも、

この土地と別れることが

今一番苦痛に感じるかもしれない。

 

 

 

それくらい好きだ。

とにかく好き。

 

でもここまで好きだと感じるようになったのは、

嫌いになった時期も含め、

アメリカにいた時期を経たからだと思う。

 

 

アメリカから帰って来たら、

故郷の東京が、

今まで知っていたような東京じゃないように思えて。

 

日本にくれば、

東京に変えれば楽になれると思って帰って来たのに、

東京の厳しさを思い知らされた。

 

 

 

東京に身を置くのも、

東京で好きに生きるのも、

こんなに難しいことだと思わなかった。

 

 

アメリカに行く前までの自分にとって、

東京とは、受け身でいられる場所だった。

 

今はちょっと違う。

もちろん故郷という故郷が他にないので、

帰る場所はいつも東京なんだけれど、

でも、そこは自分の望む東京ではない。

 

私の望む東京は、

自分が帰れる東京や、

自分が身を置いている今の東京じゃない。

 

 

私は本当に望む上京をまだできていない。

心が上京していないのだ。

ただ、東京にいただけで、

東京に私がいただけで、

東京に私の心が偶然落ちていただけ。

 

 

東京にもっと寄り添いたい。

 

意志を持って、自主性を持って、

一人の大人として、

私はこの東京に、

大好きな街たちに、

自分の心を寄り添わせたい。

 

これがなかなか難しい。

 

東京で生きる人たちって、

本当に輝かしくて格好良くて、

まだまだその境地にいけない自分が嫌いだよ。

 

 

 

自立したい。

精神的にも肉体的にも経済的にも。

自律したい。

 

 

 

 

これができたら、

たぶん、

私なりの上京ははじまるんだ。

 

 

 

スタートラインに立つために必要な資材を

少しずつ少しずつ蓄えて。

 

生きて、

その日を迎えにいく。

それが当面の目標。

 

 

大好きな街が、

また、

生きる意志を強めてくれた。

いつかこの土地で、たくさんの人を幸せにできるように。

 

上京するぞ、マジで。

ポルシェという文字を、今日は二冊の本で見かけた。

美容院に行った。

 

もう4ヶ月以上だらけていた髪を、

破格の値段で

カットしてもらった。

 

 

 

客の私も、お店の美容師さんたちも、

お互い、

特に必要以上にコミュニケーションをすることなく

とても他人行儀なまま1時間弱が経った。

 

興味は大いにあるのだが

いかんせん読むことに相当時間がかかっている

ある本を、その間に15ページほどすすめられた。

 

 

少しだけ軽くなった髪で、

じっとりと暑い空気から逃げるように、

そそくさと真っ直ぐ帰ろうとも思っていたのだが、

電車に乗る前に駅前の本屋に入ることにした。

 

そこそこ大きい本屋で、

読みたい漫画や読みたい本を眺めながら、

自由に買えない今の懐事情を忘れまいとしながら、

フロアをぐるっと一周した。

 

 

私は本が読めない。

読みたい本もあるし、今読んでいる本もあるのだが、

ほとんど、読むことに人の倍以上時間がかかる。

読書が嫌いなわけではない、

むしろ読めることならドンドン読みたいのだけれど、

頭が追いつかないことが多い。

 

だから、

読みたい本があっても、

ぱらっとめくって

「読めそうにない」と感じるとすぐに棚に戻して、

いつか読めるようになるといいな、と済ますことが多い。

 

 

今日も、

そんなことを繰り返しつつ物色しているうちに、

エッセイ本のコーナーにたどり着いた。

 

エッセイ本は余白も多く、

1ページ内の文字量も比較的少ないので、

他の本よりも情報量が少ないまま読み進められて、

あまり労力を要さないので、

今の私にとっては読みやすいと感じるものだった。

 

加えて、

自分の生きる道をひたすら考えつつ、

視野を広げて少しでも楽になりたいと思っている私にとって、

そういえばエッセイ本って、

ちょうどいいじゃないかと思えた。

 

もともとエッセイ本が嫌いだったわけでもなんでもないけれど、

視野を広げるため、

頭をなるべく空っぽにする時間を持つため、

人の生き方を知るため、

自分の生き方を模索するため、

にエッセイ本を読むという思考にはたどり着いていなかった。

 

そうか、これがあったか。

 

 

たくましく生き抜いてきた大人の女性たちが

いろんな道標や知恵を分け与えてくれているのだから、

エッセイ本のコーナーは、

宝の棚にみえた。

 

ただ、読みたいものを全部買っていては

今月の生活費が苦しくなるため、

この本屋で得た知恵から、

図書館に行くことにした。

そして、漫画や軽く読めそうな本を、

数冊、借りることにした。

 

 

映画と人と話すこと以外では

元気になる方法を見つけられなかった。

それにも限界があると思い始めていた最近。

 

ただただ時間が流れていくのを願い、待つだけの苦痛を、

読みやすい本を読む時間へとも変換していきたいと思う。

 

少しずつでいいから、自分の心に栄養を入れて、

元気になれるといいな。

 

それが、今の自分にできる自分孝行。

きょうもつらかった

「辛いことばかりじゃない」

「そんなこともあるよ」

「大丈夫」

 

って自分に声をかけてあげたいけれど、

過食と嘔吐で人生の中で、

また1日、自分を殺してしまった事実は消えないからな。

 

ごめんね私。

つらいねえ。

キツいねえ、自分の体をこうしてしまうのは、

本当に嫌だね。

 

 

病院もちゃんと行こう、

カウンセリングだけじゃなくて。

誰かに抱きしめてもらいたいな。

あったかいご飯を食べたいな。

ジムにも通いたいな。

 

全部お金がないからできないんだよね。

 

キツいなあ、生きるのって。

でもそうできるといいな。

そうするためにはお金が必要だから、

働かないとね。

 

今日からビデオ日記を始めたよ。

いつかの研究に役立つかなと思ってさ。

 

辛いことばかりで終わらせたくないね。

頑張れ私。

自分ごと、最近の変化。(2017年上半期の振り返り)

今日ブログを書こうと思ったのは、

最近の変化を記しておこうと思ったからです。

 

2017年上半期振り返りって書いたので

とりあえずまとめよう。

1月:受験しようと思いつく、受験勉強。後半からもう何も手につかない

2月:頑張れたり頑張れなかったり。受験。まったく頭に入らないララランド。お祝いムード。

3月:引越しとか引越し。城ホールで涙腺決壊。

4月:希望に胸焦がす。自分で自分を忙しくした。欲張った。結果後半に死亡寸前。

5月:精神崩壊、健康状態も崩壊、失恋

6月:思考と試行錯誤と情緒不安最高潮

 

まとめると上り下りのエブリデイですね、まぁみんなそうでしょ。

 

 

 

こういうの、書かないと忘れるんですよ多分。

 

 

変化なんて、難しいけど定着しちゃえば、

変化する前を忘れるし、

変化を起こすことになったきっかけとか、

悔しさとか、悲しみとか情熱とか、

そういうの忘れちゃうの、すごくもったいないと思いました。

 

 

必死に生きてるからこそ、

意地でもこの頑張ってる自分をいつかの自分に認めて欲しい。

忘れられたら困るので書きます。

 

 

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さ、特に最近の変化といえば、

 

 

 

①家計簿をつけるようになった

②体に合わない素材を少しずつ避けるようになった

③自分のアイデンティティーについて考えるようになった

 

 

こととかですね。

 

 

 

①は、そのままですけど、

私は携帯のアプリ、《Money Forward》を使って、

五日ほど前から支出を書きだせるようになりました。

 

 

2年半ほど前、Zaimを使ってたんですけど、

病気を患ってからというもの、

支出がとんでもなく、自分でも把握できないレベルになったので、

そんな自分を見たくなくてやめてました。

それからはずっとそんな調子でした。

バイトで稼ぐ10万なんて半月で吹っ飛ぶので、

怖くて書いてられない。

正直、自分でも使った瞬間覚えてなかったりするので、

家計簿つけられる精神的余裕がありませんでした。

 

それが、今はまた自発的に書こうと思えるようになりました。

 

 

いや、今回そうなるまでにも、

何度も書こうと思ったことはあるんですが、

やっぱりその数日後にはおかしい支出になって、

書くのが嫌になってしまって、

続くことはなかったんで。

 

それが、今では

むしろ書きたくてたまらない。

 

 

書きたくなったきっかけとして、

やっぱり今のままで生きるわけにはいかない!と思ってことがあります。

 

 

 

これお金に関することだけじゃないんですけど、

見て見ぬ振りして歩き続ける現実逃避思考型の生き方をいい加減やめなければ、

その一瞬は楽だとしても、

長期的に自分の首を締め続けることになると。

 

いつまでも苦しみが続くのはもう本当勘弁してほしいですから、

じゃあどうすればいいかと考えたところ、

もっと自分の今を見つめないといけない、と思いますよね普通に。

 

 

最近、特に経済的余裕のなさが自分を殺しまくっているんですよ。

ここまで身を以て、お金が精神状態に影響を及ぼすと感じたことは

今までなかったのでいい勉強になっていますけど、

学んだことをちゃんとこれからに生かさないと、

ただバカみたいに辛いままですからね。

ていうかただのバカですよね。それはいやだ。

 

 

 

自分のお金の使い方を考えたところ、

日常で最低限必要な費用、

精神衛生上必要な費用というものが

心身の健康を保つための大事なお金になるなと。

ここは欠かせない、欠かしたくない。

 

それ以外の、余裕があれば使うお金とか、

最低限必要というものではないけれど、

あった方がより幸福感を得やすいより健康度を高める費用もあるわけです。

そういうものからなんとなく自分の中で月々いくら使いそうか、

いくら使いたいかを考えるようにしました。

 

 

こういうの、やってる人からしたら当たり前なんでしょうけど、

私はいままでこういうこと考えるのは死ぬほど嫌だったんです。

でも賢くならなきゃいけないですからね、いい加減。

 

 

 

でも、いくら使いそうかを考えても、

普段何に実際いくら使っているのかという実態がわかってなかったので、私。

全部なんとなくだったんで、これはいかんですよね。

 

 

自分で自分のデータ集めをして、

どういう精神状態の時、

どういう状況の時、

どういう用事がある時、

どれくらいのお金を何に使うのかわからないことには、

これからの計画も立てられないし、

 

例えばこの先、カウンセラーさんとか精神科医とか、

経済的支援をしてくれる親などにも相談しづらいし、

いつかは旦那さんとか保険の人とかと、

将来設計しづらくなってしまいますから、

それはいやでした。

幸せを確実につかめる道が減りそうだから。

 

 

 

まず、直近の問題として、

やっぱり応援してもらえる自分にならないといけませんからね。

一人では生きられないので。

生きてるだけで十分って自分では思っていても、

周りはそうは思ってくれないですから、

自分が十分に生きるために、自分を活かすために、

少しでも支援の形を増やすために、

相談先を増やして信頼できる拠り所を増やすためには、

自分もそれなりの努力をしないとなりません。

 

それに、

私は結婚願望が強い身でありながら、

なんら現実的なことを考えてこなかったんですよね。

最近は結婚願望強いけど、それでもだいぶ考え方変わりました。

早く結婚して早く子供が欲しかったけど、

どう考えても、最高に経済状況と精神状態に余裕が出るくらいにならないと、

結婚も出産・子育てもしたくない。

ここらへんまでちゃんと考えられるようになりました。

変わったねえ。

 

 

で、その経済状況に余裕出すためには、

お金を稼げる社会人になるまでにもちゃんと考えないといけないですから。

 

 

 

やっぱり、少しでも明日の私を、未来の私を幸せにするためには

今の自分の精神に甚大な被害を及ぼしているお金というものに

もっとしっかり向き合って、被害を最小限にし、

いつかはお金というものを、

精神にいい影響を与えさせる本来あるべき姿の手段として

使いこなせるようになりたいですから、

ちゃんと家計簿つけようと、

今んところ、まぁまだ数日ですけど、

熱入ってやれています。

データ、大事ですね。

 

やっと自分と向き合えるようになった、というか、

その覚悟が少しずつ身についてきた証拠かなと思っています。

 

 

ちなみに、このアプリにしている理由は

Zaimまた使おうと思ったけど、

案外Money Forwardの方が自分にとって

使いやすかったので、これにした。というだけです。

 

ま、できるようになっていたといっても、

多分まだまだだけど。

 

 

 

 

②はね、

ゆるっとですけど、

グルテン摂取を減らそうと思い実行できてるから書きました。

 

 

病気になってから、

今までの人生からみて最大に、

短期でガッと小麦粉とる量が増えちゃって、

小麦の中毒性にやられていたおかげで、

自分の体にグルテンは合わないとわかっていながら
(遅延型アレルギーのひとつなので実際感覚だけじゃなくて体に合わない)

めちゃくちゃとっていた私ですが、

最近、特に下半身のむくみがひどくて悩んでいました。

 

注意して振り返ってみると、

小麦粉摂取量の多い日、

ふくらはぎめちゃくちゃ痛くなるんですよね。

足が痛くて、そして重い…。

 

 

運動不足とかむくみの原因、他にもあるだろうけど、

小麦粉とると余計にむくみがひどい気がしまして。

 

もうこんな辛い思いするくらいなら、

パンと麺はやめよう…と思い始めて一週間、

そんなに厳密にグルテンフリーにしているわけじゃないんですが、

主力に使われている食品をとらないように意識したら、

そこまでむくみがひどくなくなりました。

 

実際、なんかちょっと歩きやすいというか足取りが軽い日が増えたんですよね。

 

 

「小麦抜いたら体軽くなった」と複数からきいたことがあるんですが、

あれはこういうことか、と少しだけわかったような気がします。

足取り違いますね。

 

遅延型アレルギーの検査したの、2年半位前で、
(個人で検査したんだけど今でも血を抜くの怖かったの覚えてるわ…)

そこで小麦がよくないってわかってからも、

ずっととりつづけていてやめられなかったし、

やめようと思ってもとっちゃって死んだ魚のような目でその後居座るような自分から、

「あんな痛い思いするならそもそももうとりたくない」

と思えるようになったのは、だいぶ大きな変化な気がします。

 

 

そうはいっても衝動的にとりたくなったりするし、

一生、厳密に抜くというつもりはないんですけれども、

でも

「とりたくないけどとっちゃう」

から、

「体のことを考えるととらないほうがマシだな、やめよう」

って考えられる、

ちょっと優等生な自分が強くなっています。

 

これは、ここまで辛い思いをしてこなかったら

変わらなかったことだと思うので、

今までの日々も、もう結果オーライということで、

 

この変化があったことを喜ばしく感じてやろうと思います。

 

 

 

 

③は、

自分のいいところも悪いところも、

冷静に見つめ、理解しておかないと、

思春期がいつまでたっても終わらないと気づいたことからです。

 

BPDじゃなくてよかったとはいえ、

遅延型の思春期を脱して早く楽になるには、

どちらにせよアイデンティティーの確率をしなければなりません。

 

これは、

どう考えても大事なんですが、

やっぱりこれも逃げてきました。

 

そのおかげでいつまでも自分で自分が抱えきれなくて辛かったし、

人の好意や応援や心からの叱咤激励を無駄にしてしまったんで、

自分の人生にも、自分に関わってくれる人の人生にもよくないことです。

 

 

今の自分は、人の評価や人が下す価値判断で

自分を保っているようなもので、

それって永続的なものじゃないし

常に確認できるものでもないし、

誰かの状況でころっと変わったりしてしまうものでもあるので、

そればかりに依存していると、

ずっと自分がふらふらしてしまって、すぐに心が泣いちゃう。

 

誰かからのLINEが来なくても、

自分に価値がなくなったわけじゃない。

誰かと一緒に過ごす時間が少ないからといって、

自分が終わっているわけじゃない。

 

そんな風に思おう、ていうかそれが事実なんだ、

とこのように思うようになったのが本当ここ最近のことです。

 

それまで、

人が愛してくれる自分(彼氏や友達など好きな人と付き合えてる自分)

が自分の価値を98%くらい決めていたようなものでした。

 

 

この前、私はコンプリート型の人間で、

恋愛でも自分の思い通りやれないと気が済まないと言われ、

その通りだと思ってたけれど、

それは、そうしないと自分がなくなるというか、

自分が自分であれる気がしない、

自分の好きな人が振り向いてくれないと、自分の価値を失って、

倒れてしまうことがわかっていたから、

だからそういう思考に偏るようになったんだろうなと思いました。

 

 

 

ちょっとやそっとのことで動じない人間って、

自分を深く理解し、

いいところもわるいところもちゃんとわかっていて、

他人の評価や批判で自分の価値が変わるわけじゃないとわかっているから、

というか自分がもっている自分に対しての愛がちゃんとあるから、

そういう他人の基準で

思いっきり喜ぶことも、思いっきり落ち込むこともないんでしょうね。

 

自分もそうなるためには、

自己が求めるものはなんなのか、理想像とはなんなのか、ということや

自己の認識している人物像と、

他者の認識している人物像の乖離を減らし、

アイデンティティーをきちんと確立しなければならないので、

このあたりを、

逃避することなくちゃんと見つめて、言語化していこうという覚悟が生まれました。

 

 

まだきちんと言語化できてないけど、

下半期は、これらをちゃんと理解し、

アイデンティティーを確立した

強い自分を作っていくことが目標なのかな、と思っています。

 

 

 

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最近、

病気とか、失恋とか、学生生活の破綻とか、

そういうものを経て、

どんどんダメな人間になっていっていたんですけど、

でも、だからこそそんな自分を少しでも変えたくて、

というより変えないとこれから先まずい気がするので、

「このままじゃいかん」と思っているうちに

できるようになっていたことたちです。

 

できるようになっていることといっても

まだ長期的に続いてないことを書いているので、

これ書いておきながらまたすぐへこたれてできなくなってたら

すっごいダサいんですけど。

 

でも、

この変化に至るまでの懊悩があったから、

ダメ人間になっていくといいながらも、

もがきながらちゃんと前には進んでいると思うんですよね、

ちょっとは、ちょっとくらいは、やっぱりそう思います。

自分も捨てたもんじゃないんだろうって。

 

 

前回ブログ書いた日は気持ちが穏やかで、

その次の日には死んじまいたくなっていて…

 

どっちもまごうことなき自分の人生の大切な1日です。

 

 

 

ここ最近は、

1日がとても長く、

一週間の移り変わりが激しく、

なんとか生き残るための足場とホールドを探して、

それが掴めたらその日はなんとか持ちこたえられて、

掴めなかった時には簡単に地に落ちるような、

ずっとロッククライミングに挑戦している感覚があります。

 

 

 

 

思い出って、覚えているつもりでも

細かいことはいつか忘れて、

全体の総感覚として記憶に残るものだと思います。

 

 

私は高校時代、

高三の秋以降を除いて、基本的に楽しいものでした。

あんまり、「辛い」と思った記憶がない。

絶対あの時はあの時で毎日何かに悩んでいただろうに、

部活の引退を悩んだのがいちばんの悩みで、

それ以外の辛いことや悩みって、きっちりと覚えていません。

 

良くも悪くも、ただ

「あの時の私はお気楽で楽しい毎日を送っていたな」

という思いがまず真っ先にやってくるのです。

 

 

そう思うと、

たぶん、今のこの日々、というか

高校卒業してからの

ここ数年を考えると、

のちのち私が思いそうなのは

「あの時本当辛かったな」

ということで…。

 

この辛いというのは人と比べてということではなく、

自分の歴史上で、です。

 

でも、これだけで終わらせたくないんですよ。

 

 

辛かったから、そこから何かを学んで、ちゃんと掴み取ったものもある、

だから、

 

「辛かったけど、最高の人生の始まりだった」

 

っていつか言えるようになりたい。

そのための変化を起こそうとしている時なんだと思います、今。

 

 

 

生まれてから、今が確実に辛くて、

そんなの多分みんな同じだけど。

だって未来を生きることができないし、

喉元過ぎれば熱さ忘れる生き物だから、

今が一番辛いのは当たり前なんでしょうけど、

本当にここまで毎日生きることを必死に、第一に考えないと

その日死んでしまいそうになるっていうのは

今までになくてですね。

「生きるぞ」って思わないと、がんばれなくなってしまいました。

 

 

でも、そう思わないとやっていけない日々の中でも、

それでも私は頑張りたい気持ちがどこか強くて。

 

生きることを意識しなくても普通に生きて

たくさんのことを成し遂げられるようになりたいのです。

 

 

 

頑張らなくていいとか、

頑張らなくても自分を認めようとか、

そういうのあるけれど、

もちろん頑張らない自分を愛するのが、

ただ生きている自分をちゃんと抱えられるようになるのが今の私にとって

大事なことだと思いますけど、

そうはいいつつ、

もっともっと何かを頑張っていたいんです。

 

私は人が頑張っている姿が好きなんです、

頑張っていないとダメってことじゃなくて、

頑張るという行為を続ける人の、

その美しさに私は惹かれているから、

自分も少しでも頑張っていたいんです。

だから、頑張りたい。

 

頑張れないけど頑張ろうとしているだけでいいんです、たぶん。

とにかく、どうにもこうにも、頑張りたい。

 

 

まずは生きることと、

自分を知ることを。

 

 

そして、

そういう日々の中で、

何気なく成長していく、

変化していく自分を、

何気なく見過ごすのではなく、見つめたいと思います。

 

そんな思いでこのブログを書くことにしました。

 

 

 

 

 

 

未来の私!覚えとけ!!

今こういうことがあって、

こう変わっていて、

わたしは頑張って持ち直すから!!

 

未来の私が幸せでいられてるなら、

それは今の私が頑張ったおかげだからな!

忘れるなよ!!そしてそれをいつか誰かのためにも活かせよ!

 

一人で頑張ったとか、一人で掴み取ったとか、

お願いだからそういう勘違いした大人にならないでくれ!

あと、自分が辛いことから抜け出せたからって、

悩める人にトンチンカンなアドバイスするようなだっさい大人になるなよ!

 

 

と、私は将来の私にそう申し上げたいと思っております。

 

2017年の夏至

さいきん、ブログを書く時はだいたい

負の感情を動力源にして

たくさん書いてしまったので、

どうしても胃もたれしがちな内容になっていたけれど、

今日はもうちょっとふんわりした、

たいしたことないことを。書く。

 

 

 

 

本日は夏至でしたね。

 

私は冬至がくると少し寂しくなって、

夏至がくると少し気持ちが落ち着きます。

 

冬の方が好きだから。

この日がきてしまえばあとは冬を待ち望むだけ。

 

夏至を過ぎれば、

この先、7月8月と本格的な夏が来るとしても、

ちょっとずつ日は短くなっていっていき、

暑さが本気を出す中にも

潜在的に冬を準備している世界観を感じとれます。

 

「このムシっとした暑い夏もだんだん終わっていくのだなあ」

と、夏を乗り切る決意ができる日が夏至。

 

反対に、冬至は

潜在的な夏の準備を始められるので、

ちょっといやだけど、

でも冬至の先には、

クリスマスとか年末年始とか自分の誕生日とかバレンタインデーとか、

楽しみな冬ならではの行事もたくさんやってくるから、

まぁまぁ穏やかな気持ちでいられます。

 

 

まぁ今年の夏至は、

東京では夏至っぽさ、感じられなかったな。

 

大雨でしたね。

 

 

数年に一度の規模の大雨だって、

昨日のお天気ニュースで見て、

そんな数年に一度のスペシャル気候にめぐりあえるなんて、

生きてきたからだなあ、生きてるってすごいなあと、

ちょっとした感動を覚えつつ、

いざその日を迎えれば、

少しだけ気分が落ち込んだりもしました。

 

どんよりとした雲。

 

 

だけど、好都合だったのは、

雨の音がいろんなものをかき消してくれたこと。

 

窓をあけていても、

好きな歌を、

音程も音量も気にすることなく

歌えました。

 

そのあとちゃんと外に出て、

やっぱり外でも歌えました。

人通りの少ないところでね。

工事してたし、大雨の音がするから、いいかなあって。

 

 

雨量だけじゃなくて、

風も強かったね。

 

びっくりしました。

 

何度か傘がひっくり返っちゃって、

困ったなあと思いつつ、

あまりに風が強いもんだから、

「なにこれ!映画かよ!」って

一人で大笑いしちゃいました。

 

ちょっと気持ち悪いかなあ。

 

でもなんか、非現実的すぎて、

そんな風に思ったら、楽しくなって、

髪の毛が湿気でいつも以上に魅力を失ってしまったこと以外は、

とっても楽しい雨の夏の日でした。

 

 

東京の街を歩いたから、

私はこんなに楽しめたんだろうな。

 

生きている人が、

街を形成していくんだと、

さいきんは東京を歩くたびに感じます。

 

東京が好きです。

東京で生きる人も好きです。

 

だから、東京を歩いて、

すれ違う人からいっぱいエネルギーをもらえた気がします。

おかげさまで、

家に帰っても今日は元気でいられました。

 

なんか、一人なのに、

すごく笑っているのが、

不思議でねえ。

 

ちゃんと好きなことをするのって大事だなあ。

 

東京を歩く時間が私にとっては本当に大好きな時間です。

 

 

雨が止んだから、洗濯しなきゃね。

 

生活してるなあ。