引き出しの多さに憧れる

自分にないものを持っている人に憧れるという言葉を 聞くことが多く、 最近この引き出しについてよく考えます。

そう思うようになったきっかけは 慶應卒の作家、水野敬也さんのブログです。

 

水野さんのブログは言うまでもなく面白いんですが、 文中にちょいちょいだしてくる 引き出しの多さに毎度驚きます。

教養の差が違いすぎて、 読んでいて楽しいけれど、悲しくもなります。

自らの引き出しの低さを呪い、 「私はこの知識もなければ語彙が豊富な訳でもないから、 同じことを書こうとしてもこんなに面白くはかけない」 と悔しさに似た気持ちを抱きます。 だから、毎回3記事程読んだら もう自分のライフが相当削られてきます。

この前通学中の満員電車の中で読んでいたんですけど、 朝から相当ダメージを受け、 勝手に卑屈になりながら、 その日の授業でもあまりいいことがなかった、 というかむしろ自己の英語力のなさを恨む日になり、 散々な日だなぁと感じたのでした。

 

だから、引き出しの多さは 自分の人生を豊かにするだけではなく、 人に憧れられたり、 人に好かれたり、 ともすればダメージを与えることもできるんです。

 

自分でも、自分の恋愛観などを考えるときに、

”自分ができないことに堪能な人”

”自分が知らないことを多く知っている人” に惹かれるんだろうな、と感じました。

 

その人の引き出しから出される魅惑のものに惚れるんです。

ただ、知識をひけらかす謙虚でない人には惹かれないです。

偉そうなこと言いますけど、 その人が愛する知識とともに歩み、 考え生きてきた人にとてつもない魅力を感じます。 これは老若男女問わずに思うことです。

 

ニックには私にない引き出しを持つ人がとても多いです。

−気づいたら数人がある歌を一緒に口ずさんでる −なんだか知らない映画で盛り上がっている −ハリウッド俳優たちのゴシップや近況を話し合う

など、、、

 

いや、こういう人たちは私の中高にもいたとは思うんですけど、 あまりそういう話には入らなかったのですが、ニックになると、 避けられない数でこういう方々が いらっしゃるので、 むしろ私のようなこういう話を全く知らない人が きっとおかしいのです。 自分の引き出しの少なさのせいによって 疎外感に苛まれ、自己嫌悪に陥ります。

 

だから、この学校にいて その引き出しを増やすことの大切さを 常日頃教えてもらっています。 とはいえ、まだ何かに詳しくなったわけではありません。

けれど、もう少し広い視野を持ったり、 先入観を捨てたり、 興味の振れ幅を大きくしようとは考えるようになりました。

 

ニック生になってよかったと思えることです。

 

自分の引き出しを増やしながら生きていきたいですね。