だいすきなわたしへ

私には中学の頃から尊敬している方がいます。

彼を追って、彼のようになりたくて、少しでも近づきたくて、

ここまで生きてきたと言ってもいいくらい、

私の今のところまでの人生で大きな影響を与えてくれた方です。

 

私は私の尊敬する方のおかげで夢ができたと思ってきたし、

その方のおかげでいろんなことに挑戦しようと思ってきました。

すごく感謝しているし、今でも変わらず大好きです。

勝手に、人生の恩師だと思ってきたくらいです。

 

中学の頃から、とにかく追える範囲で追って、

周りの友人に何て言われても、

冗談で彼への感情が恋愛に捉えられることがあっても、

それでもいいからとにかく少しでも近づきたかったんです。

(もちろん恋愛感情はないです!)

 

彼のすること全てが私には輝いて見えて、

どんどん上を行く彼を一日たりとも意識し忘れたことはありません。

そういうと、友人に「それは嘘でしょ!」なんて言われたこともあるけれど、

本当に、毎日ほんの少しの時間でも彼の存在を意識し、尊敬の念を抱きながら過ごしてきました。

 

ただ、私にとって、それが必ずしもプラスに働いていたわけではないことに、

本当に今日、たった数時間前に気づきました。

アメリカに来ていなかったら気づけていない発見だったと思います。

これから先は私の尊敬する方への批判のつもりは一切ありません、というか、今もやっぱり大好きです。

ただ、自分がこれからどうあるべきなのか考えるのに、自分の中でしていた彼への向き合い方を変える必要があると感じ、

考えをまとめるためにも、超超超久しぶりにブログを書くことにしました。

 

 

 

私にとって、彼という目標にしたいと思える方が現れてから、

自分の人生にまた一つ鮮やかな色が足されたように楽しくなりました。

 

尊敬する方に近づきたくて、

その方がやっているようなことの真似事をしてみたり、

その方と出会ってなかったらやっていなかったようなことに挑戦してみたり、

そしてそうやって挑戦することが楽しくて、

決してその方のレベルに達していなくても、

そんな自分に満足していました。

 

でも、その反面、その方の真似事をしながらも

全然その方に近づけていないこともわかっていました。

ただ、だからこそ、私なんかが近づける存在じゃないってことを実感できて、

その方への尊敬の念を募らせていってくれたように思います。

 

彼の仕事ぶりをネットや人づたえで知るたびに、

私はそれをしれた喜び(そういう情報が伝わるくらいには彼の近い距離にいれているんだという勘違い笑)を感じ、

「ずっとこの人についていこう」なんて、そんな風に思っていました。

 

そして、何かの機会があって、

その方と対面できた時なんかは、もう緊張で言いたいことの3割くらいしかいつも言えなくて。

体温が上昇するのがわかって、

興奮しているのを抑えるのにただただ必死で、

嫌われたくないから言葉を選ぶのに集中しちゃって、

自分が何を言っているのかなんて後になると全く覚えてないくらいで。

こんなに何度も会っても緊張しちゃう人、私の人生でこの方だけだなあって。

でも、それでも、本当に大好きで、心から尊敬していて、

たとえほんの少しでもこの目でその方の姿を見れることが本当に嬉しくて。

まあこんなん、確かに「好きなの?」って茶化されても仕方ないですよね(笑)。

 

 

ただとにかく、私もこの方に近づきたいって常々考えてきて。

 

実際に会えることで彼の考えや言動に触れて近づけるんじゃないかとか。

彼の考えを何かの媒体を通して知ることが彼に近づける近道なんじゃないかとか。

 

それで、彼の考えと自分の考えの似ている点とか、

自分の考えていたことを彼も同じように考えていたと知った時なんかは、

「やっぱり私はこの人を尊敬し続けるんだろうな」って嬉しくなりながら、

でも彼を尊敬し始めてから色々と影響を受けているのは私だから、

考えが似ているというか、私が似てきているんだろうなというだけなんですけど。

 

 

考えが似出した次は、

もっともっと彼に近づいていけば、

彼に認めてもらえるんじゃないかって、そういうことを考えるようになりました。

 

だから、彼のやっているようなことを私もやってみたくなって、

できる範囲のことはやってみたり。

力量の差を感じながらもね。

 

そうやって、彼のことを追い続けて、

ちょっとずつ向上している自分を感じて嬉しくなる反面、

先ほど書いたように

「こんなことしたって、私は彼にはなれないし、私の価値は変わらない」という

否定の気持ちが出てしまうようになりました。

 

それは、はじめのうちは小さいものでも、だんだんと大きくなっていっているのは、

自分も少しづつ感じていたと思います。

 

 

「これを頑張っても、私は彼にはなれない」

「これに力をいれたって、彼は私を認めてくれないだろう」

と、自分の行動の価値判断基準が、私の尊敬する方が私を認めてくれるのかどうか、ということになっていっていました。

 

けれど、そんなことを考えたって、

私と彼には結構な年の差も、学歴の差も、社会での価値の差もあるから、

近づけるわけもないんだろうな、と諦めた感情も出ていたことも事実で。

 

じゃあ、性別も年も学歴も社会的価値もなにもかもが違う私が、

少しでも近づける道はなんだろうと考えた時、外見を磨けばなんとか可愛がってもらえるかも、なんて勘違いしたりもしました。

 

結局、私は自分の才能もなにもかも彼に比べて劣っていると認めて、

自分は劣っているから彼にまだ近づけないんだと卑屈になって。

だって、彼と近しい存在の人たちはみんな才能に溢れた人か、世間的にも認められている人か、とっても美人で可愛くて才能もある人かで、

私はどれにもあてはまらないから、彼に認められるためにももっと自分を高めなきゃと焦燥感でいつも胸の中はいっぱいでした。

 

 

尊敬という感情が、志を高めることに足して、自分をけなす方向にも働いていたんです。

だから、「彼はきっとこの仕事量でもそつなくこなせるだろうに」なんて考えると彼への尊敬の念が増す一方で自分が嫌いになりました。

「彼は国立出なのに自分は私立文系志望で、彼には勉強でもかなわないのか」と考えると、やっぱりあの方はすごいなと感じる反面自分の頭脳不足に嫌気がさしました。

「彼の近くにいる人間はみんな綺麗で才能があるのに私にはなにもない、そんな私が彼に近づけるわけがない」と、自分を否定して言い訳して自分を否定していました。

 

 

 

自分を卑下し見下すことで、彼をますます神聖視していました。

また、彼に外見でも中身でも才能でも、とにかく認めてもらってる私と同年代くらいの人間を勝手に嫉妬していました。

 

それで、彼を尊敬しはじめて五年が経った今、

私は自分のことが思った以上に受け入れられていないことに気づいたのです。

 

 

彼に近づきたかったのに、

全然そうなれない自分がいやで仕方なくて、

どうすればいいかわからなくなって、

パニックになって、

自分を苦しめて、

自分の方向性もがわからなくなって、

自分の未来が真っ暗闇に見えたりして、

それが辛くてそれから早く脱したくて、

人と違う留学という道を選ぶことで、

自分に自信がつけられる気がして、

それにむかって歩んできて、

でもどうしても留学を決めてからも違和感があって、

とうとうここにきて気づきました。

 

 

 

私が私の人生の主人でなくなってたんです。

 

何をするにも、尊敬する方を念頭に置いて進んできたから、

頑張り方を、自分の愛し方を間違えてしまったんです。

 

彼のせいではないです、そして、私が悪いわけでもないと思います。

こういう間違いってきっとまだ子供のうちはしちゃうものだと思うから。

 

彼を尊敬し続けてきたことを間違いだとは思いません。

彼あってこそ今の私がいると思います。

でも、尊敬することと、自分を見下すことは違うのに、それを一緒くたにして自分を扱っていたんだと気づいたんです。

 

自分に自信がなくて自信をつけようとして人と違うことや新しいことに挑戦しようとしても、そんなのいくらがんばったって自信がつかないんです。

だって、自分の悪いところにしか目がいかないんですよ、そういう時って。

新しいことや人と違うことだからこそ、その特別性から、その道に秀でた人が余計目立って見えて、

自分の価値をもっと下げてしまっていたんです。

自分の才能や可能性を人と比べて狭めて。

 

五年間、どんどん大きくなっていった劣等感。

 

私はこいつとこれからうまく向き合わないといけないなと感じました。

だから最近、自分のことを好きになることにすごく力を入れ始めました。

 

そして、この気づかぬうちに大きくなっていっていた劣等感をひしひしと感じ、必死に戦うことに決めました。

 

自分を認め、自分を許し、自分を愛することがどれだけ難しいか、

毎日感じています。

 

自分を褒めて自分にポジティブな言葉をかけてあげることで強気な自分でいることに集中したいのに、

朝起きると自分に幻滅して、ただ自分の人生を生きているだけなのに、自分が嫌いで仕方ない瞬間を頑張って押さえつけて、

またポジティブに頑張る。

 

アメリカにきたことで、これまで頑張ってこなかった分、

余計に自分の劣った部分がたくさん見えるようになりました。

 

劣等感を感じることはもう得意分野だったから、

とにかくそれに打ち勝つ自分の強さを出すことに必死になって。

 

 

そうしている毎日でした。

 

壁にぶち当たるたびに尊敬する人の顔を思い浮かべ

「近づかなきゃ」と自分にプレッシャーをかけて励ましてきました。

 

でも、私はもっと私を大事にして私を許してあげて私が私を認めるために努力したいです。

 

 

私の尊敬する方って、本当に素敵な方なんです。

頭が良くて、ユーモアがあって、志が高くて、他人思いで、とても謙虚で、でも人間らしくて、本当に、とても魅力的なんです。

 

 

でも、他人を勝手に自分の人生の主人公にしたり、勝手に自分の思考の司令塔にする必要なんてなかったのに、って今更、本当に今更気づきました。

 

尊敬がいつしか崇拝になっていました。

 

 

もう、そろそろ自分のために私を大事にできるといいな。

彼に認められなくてもいいから。

彼を尊重する気持ちは変わらないけれど、

私は私を大切にしていきたい、

本当に自分が心からやりたいと思ったことに奮闘して生きていきたいです。