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他人の鏡から、私の私に。

なんだか謎なタイトルですね。

 

 

前回、

「私にとっての私の価値判断基準が尊敬する方に認められるかどうか、になってしまった」というようなことを書きました。

 

 

 

そこからまた少し自分のことを考える時間を持つことにした時、

確かに私は、その方とそこまで近しい関係でもないのに、

尊敬する方が私をどう思ってくれるか、ということに焦点を当てて生きて来たけれど、それだけではないとさらに気づきました。

 

ブログを書いて自分の気持ちをはっきりさせてみると、

尊敬する方だけではなく、

私ではない他の誰かが私をどう見てくれているかが私の価値を決めています。

 

 

私という人間が、他人の鏡になっていたように思うんです。

 

 

誰かが私を嫌いなら、私はその程度の人間で。

誰かが私を好きでいてくれるなら、私は価値があって。

誰かが私を劣っていると判断すれば、私はそこまでで。

誰かが私を認めてくれるなら、私は勇気が湧いて。

 

 

書き起こして余計に感じるのですが、

自分が常にブレていました。

 

だから、ちょっとやそっとのことで

ものすごく気が滅入ってしまって、

感情の起伏が激しくて。

そんな自分が嫌いでした。

 

すぐに必要以上に落ち込んで、

その落ち込みが自分の思考や行動を制限して、可能性を狭めていって…。

 

 

 

体や年齢は成長をしているはずなのに、

どんどん自分を傷つけて子供のように泣くことが増えた気がします。

 

自分を自分で肯定できないから、私以外の誰か、例えば親とか友人とか先生とか、

そういう存在が私を決めてくれるんだと思っていました。

 

 

たぶんそれは、

自分のアイデンティティーを受け入れられなかったことや、

子供の頃にしていた周囲の人間の愛情に対する勘違いなどが影響していると思います。

 

 

 

自分の血とか、自分の性別とか、人より嫌われる特徴を持っているから、

常に人より何か優る点がないと愛してもらえないんだと勘違いしてきたんですね。

 

今でもそう思ってしまっています。

 

だから、常に人と比較して、

そんなことをしても自分の心は報われないのに、

自分で自分をいじめるのがだいすきな人になりました。

 

 

 

完璧主義というわけではまったくないけど、

とにかく学業でも運動でも才能でも芸術でも、

人より優れたことをしていないとダメなんだって思い続けて。

 

でもそれって疲れるし、相当気を使っちゃう。

気づかないうちに。

だって私、何かで一番になったことってほぼないし、

じゃあ何かで一番になったところでその状態が一生続いて、それで自分を保っていっても虚しいだけだし。

 

 

 

でも、本当にハードルを下げるなら、

人より優れているかどうかっていうことに神経使わなくても、

自分が自分であることで嬉しいことは沢山あります。

 

 

 

例えば、五体満足で生まれてきたこと。

どこにも障害がなければ、女としては丈夫な体をもっていると思います。

私は自分の足で歩いて、走って、立って、上り下りをして、

自分の意思で手を自由に動かせて、こうやってキーボードを打って文章を書いています。

 

例えば、血のつながりを持っている両親と兄弟がいること。

父と母がいるという喜びを知っていて、兄と弟までいます。

姉か妹が欲しかった私ですが、今思えば、兄と弟が結婚してくれれば、

義理の姉と妹というつながりもできます。

 

例えば、人に恵まれていること。

すばらしい人が周りにいてくれたおかげで、すぐに誰かと比較してしまう私は自分が嫌いになったりもしたけど、

そんな私を受け入れてくれる心優しい友人が沢山できて、

アメリカにきても文通をしたりできる大切な友人までもがいて、

私の将来に大きく影響を与えてくれる尊敬する人を見つけられました。

 

 

 

五体満足だよ、私。

喜怒哀楽を自由に表現できて。

今日もこの世界で生きられて。

 

 

こういうことに喜ぶことでいいはずなんだよね、生きるって。

 

 

私は何かに秀でているわけでもないし、

できないことは本当に沢山あります。

それを後ろめたく、恥ずかしく思ってきた自分。

 

 

でも、沢山の友人や周りの人を見ていて思うことは、

私には欠けているものがあるから、

それを補ってくれる存在がいて、

そうやって助け合えるからこうやって世界はできているんだろうなということ。

 

こんな当たり前のこと、

この世の中で生きていると何度も忘れそうになります。

 

 

 

私はがさつで、手が不器用で、不真面目だし、わがままで自分勝手で…

頭脳も外見も性格も、すべてひっくるめて自分が大嫌いでした。

 

 

 

でも、それを補ってくれるかのように、

繊細な人と知り合いました。

器用にモノを扱える人も知っています。

真面目な人は数え切れないほどいます。

いつも人のことを考えてくれる優しい人に沢山知り合いました。

 

 

そして、

自分が愛せない、そんな自分さえも愛してくれる人が現れました。

 

 

なんて幸せなんだろう。

 

 

ハードルを下げた見方なのかもしれないけれど、

すべての幸せの根底はこういう、単純なものなんじゃないかな。

 

 

 

それでも、たぶんまだ、今の私には自分を受け入れることとか許すことに問題はあるんですけど、

自分が、母親という存在になるまでには、いや、それより早くにでも、

心から「私は私を許し、受け入れ、尊重し、誇りに思い、愛している」と言える存在になれると確信しています。

 

 

そうして、いつか、自分の愛する子供に、その子がどんな体でどんな性格でも、

「あなたが私の子供として生まれたことが、人生の歓びで、どんなことをしても、どんなことを感じても、そのあなたを愛する私がいるから、好きなように生きればいいんだよ。」

って、そういうことを教えられるお母さんになるのが夢です。そのお手伝いをするために精一杯子供を愛してあげるのが夢です。

 

いつか、私と縁があって、自分のことに悩んでる人に、

「あなたがどんなことで悩み苦しみ、自分のいやなところが沢山見えてしまっていても、あなたは愛される資格があって、幸福に生きる義務があってこの世に生を受けたんだから、自分の好きなことをたくさんして、人を気にせずに自分の中に『好き』を満たしてあげて。」

って、そういうことを伝えてあげられる誰かの友人になるのが夢です。そのお手伝いをするために精一杯その人と楽しいことを共有するのが夢です。

 

 

世間の固定観念にとらわれて自分を愛せなくなっちゃうのはすごく寂しいし、悲しいから。

 

 

 

 

とりあえず今は、これでいいや。

 

自分を許せない自分を許すんだ。

自分を許せない自分を許せない自分を許すんだ!

 

この私の経験と思いが、いつか、そう遠くない未来に、

誰かの役に立ち、誰かを助けられることを願って。

そして、芯から私が私になれることを願って