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「生きる」ということ

今世間が注目してる話題の一つが、

ある若い女優さんが出家するという話。

 

だいたい、

 

・仕事を途中で放棄すること

・新興宗教の信者であったこと

・事務所の待遇

 

と、

まぁその辺に対しての意見が多いように思うんですが、

私も一番はじめは

「えっ突然出家???」

と耳を疑い目を疑い、

ニュースで「契約はまだ残っている」っていうから、

そのあたりに対して

「それどうなんだ」と率直に思ってしまいました。

 

だけど、

思ったあとすぐに、

「私人のこと言えない…

逃げてばかりで今生きてるのに…」

と気付いて、苦しくなりました。

この辺りについて思ったことを書きます。

 

 

 

 

命を絶つことを考えるほどの状態で

生き続けるというのが、

どんなに辛いか、よくわかります。

 

今回の一件にどんな背景があったのか、

私は全くわからないので、

何かを、誰かを、

強く非難するということは出来ません。

同じように、全面的に肯定することも出来ません。

 

だけど、

私が一つ思うことは、

そんなにも苦しい状況だったなら、

少しでも心が休まる方向に目を向けて、

その道を選択できたなら、

それは良かったなと思うのです。

 

 

 

映画を作る人が、

「どれだけの人が携わっているのか、どれだけ迷惑するか考えろ」

と言っているのを見かけました。

 

私も、本当に短い期間ではありましたが、

15秒の映像を作る世界をこの目で見て、

なんと多くの人が、

15秒のために、

たくさんの能力と時間とお金をかけて、

精一杯働いているのだろうかと、

その世界に感動しました。

 

 

15秒でさえ、本当に大変だったのに、

映画ともなれば、

何時間もかかる映像であり、

エンドロール見れば分かる通り、

倍以上の人手と労力がかかっていることでしょう。

 

だから、

そんな自分たちの努力が

1人の勝手な決断によって

踏み躙られたと思う人は憤りを感じるだろうし、

はじめは冷静にいられないんだろうと、

そう思います。

 

 

ただ、あまりに多くの人が、

そして発言に影響のある人が、

 

「途中でやめるのはプロとして失格」

「会社員はそんな簡単に仕事を辞められない」

「自分勝手すぎる」

 

という持論を展開していることに、ショックを受けました。

 

 

 

この一件に関して、

私も精神を壊して、

今も治らず毎日闘って生きてる以上、

ある意味まだまだギリギリなので、

勝手に自分を重ねて、

世の反応を見てしまいます。

 

 

先ほど書いた通り、

15秒という時間にたくさんの大人が

力を合わせる姿を見て、

昔から憧れていた世界に、

私は改めて尊敬の念を抱きました。


しかしそんな業界の、

トップに君臨する会社で起きた悲劇が、
去年大きなニュースとなりました。

 

 

「勝手に死んで迷惑してる。」

という人も見受けられたし、

あの一件で出た影響が、

必ずしもいい方向にばかり作用しているわけではないこともあります。

 

でもほとんど多くの人は、

あのニュースに対して

 

「やめればよかった」

「相談する場があれば」

「逃げてもいいのに」

「あんな未来ある若者を殺した罪は重い」

 

なんて言ってたくせに、

本当に仕事を残したまま逃げた人を見ると、

そんな風に言う流れが強いんだなあ、

と、悲しくなりました。

 

これじゃあまだ、

「辛い」なんて言いづらいよね。

言っても相手にされないし。

 

なんせ私も、

途中でやるべきことを投げ出して、

自殺した女性社員や

話題の女優さんほどではなくとも

多方面に迷惑をかけ、

そうはわかっていてもそんなこと考える余裕もなく、

逃げました。

多分、今も逃げて逃げて生きています。

 

だから、

この世論を見ると、キツかった。

 

 

それに対し、

「逃げることは悪いことじゃない」

「生き延びるためには仕方ない」

「精神が追いつかない人に責任を求めるな」

といった旨の主張を見る度に、

その通りだと思ったし、

Twitterではそんなツイートをリツイートしました。

賛同するから自分のタイムラインに刻むのです。

 

 

…だけど、

そういう意見に賛同するということは、

今のこの、逃げてばかりの自分自身を肯定し、

弱い自分・ダメな自分を認め、

甘やかしてることになってるのではないかと、

そうも思っていました。

だから、少し、そんな自分が嫌でした。

 

私は、人の気持ちを思いやり、

追い詰められた状況に寄り添うことのできる、

少しばかり優しい人間になれたのかもしれないけど、

依然として人の役に立つ何かを出来ていません。

 

むしろ、迷惑かけっぱなしで、

周りにとっても触れづらい人の一人のようになってる今の自分が、

活躍できる居場所が見つけられていなくて、

まだまだこの社会で生きれていないのです。

 

「勝手すぎる」という意見ばかり見たせいで、

「そんなことより生の方が大事だろう」という

自分の気持ちがブレました。

 

東京にいるのに、東京で生きれていない、

そんな辛さから、自分を肯定したくて、

そういった言葉に賛同するというよりも、

自分が癒されているのではないかと、

そう思っていました。

 

 

そんな時に、

伊集院光さんがラジオで発言したことについてのニュースを目にしました。

 

・清水富美加への「仕事放棄」批判に異論 伊集院光「『死にたい』と言っている人に...」(J-CASTニュース) - Yahoo!ニュース
http://srd.yahoo.jp/new/hl?a=20170214-00000008-jct-ent

 

・伊集院光、清水富美加を巡る騒動に「意見が一色なことに気持ち悪さを感じる」(スポーツ報知) - Yahoo!ニュース
http://srd.yahoo.jp/new/hl?a=20170214-00000112-sph-ent

 

 

この記事で伊集院さんが言っていたことを見て、

心がとても落ち着いたんです。

私の感じてたことは何もおかしくなかったなと気付けたんです。

 

ラジオを聴き直すと、

伊集院さんが

「(有名人の多くの批判が)正しい正しくないかじゃなくて参考にならない」と言っていました。

 

必ずしも、「正しい」「正しくない」で見なくてもいいのか、と思いました。

 

 

「私は『正しくない』生き方をしているわけでも、

『正しくない』考え方をしているわけでもなかった。」

 

「その人は、その言葉は、

自分を救えるものなのか、

そういう点で、『参考になること』に

目を向けていいのか。」

 

「『こうでなきゃいけない』っていう、

正しさばかりを考えて苦しくなる必要もないのか。」

 

そう思えました。

 

 

私は、

未来が見えない、先行きの見えない、

そんな不安の闇を、高校三年生の秋から、

ずっと抱えていて、

3年経った今でもそれが変わっていないという事実に、

毎日恐怖を感じて、苦しくなります。

今でも、一人でいる時、急に泣き出すこともあって、

そんな自分が嫌だけど、

そんな自分がまだ残っています。

 

それでも、

人や、音楽や、映画や、本や、ラジオや、ミュージカルなど、

様々なものから力をもらって、今なんとか

生きています。

 

誰かの発した、書いた言葉は、

そんな見えない恐怖を

いつも少しずつ和らげてくれて、

ここまで私を生かしてくれました。

 

言葉に助けられるだけでは、

事態は何も変わっていないように思いますが、

確実に、生きてる自分が存在していること、

それは一つの結果です。

 

まだ見通しは何もないけれど、

それはまだとても辛いけれど、

今生きてるということは、

たくさんの事物に力をもらって、

助けられ、支えられ、

生への選択をし続けた、

そんな私がいるということです。

 

女優さんにとって、

自分を助けてくれた存在が、

周りの大人ではなく、宗教だった。

信仰心と、その教えが救ったのでしょう。

 

どうであれ、

生きていてくれたことは奇跡だと思います。

 

 

人は、

「ない」結果は見えません。

今ある結果しか見えないものです。

彼女が死んで「ない」から、

その点を考慮するのは難しいことでしょう。

だけどこのニュースの裏には、

早すぎる死を回避できたという結果があると、私は思います。

 

「死にたい」と言っていたのが本当かわからないし、

その気持ちがどこまでのものだったかわからないけれど、

生きているということは、

頑張って生き延びたということです。

この女優さんに限らず、

誰しもにとって、それは不変の事実だと思います。

 

死んでないって、すごいこと。

本当にありがたいこと。

 

 

もちろん、

なるべく、生きるに加えて、

自分の責務を全うできるように生きることができたら、

それが一番望ましいでしょう。

でも、皆が同じように出来るわけではない。

 

迷惑をかけるなといったって、

人に迷惑をかけないのはまず無理だと思います。生きる上では。

 

迷惑の度合いが大きくなりすぎないまでに、

小さな迷惑をかけあい、それを許し、

そしてその中で助け合うことが、

人を生かすことなんじゃないかと思います。

 

何が正しいかなんてわからないけれど、

生きる希望を見失わずにいられたなら、

それはそれでいいんじゃないか。

とはいえ、

もしも死を選ぶことが参考になるならそれでもいいんだろうし。

 

少しでも心が休まる方向に向かっていければ、それは生きる上での成功なんじゃないでしょうか。

 

何を選び取るかは自由だけど、

何を選んでも幸せになれるようにしていけば、

それはもうものすごい成功かもね。

 

きっとこれから色んなことがあって、

この女優さんを取り巻く環境でも

問題は起き続けるだろうし、

それは私にもそうだろうし、

誰にとってもそうでしょう。

 

あの人も、私も、周りの大切な人たちも、

少しでもたくさん幸せに生きれるといいね。

 

難しいようで簡単なようで、やっぱり難しいようで、でも実は簡単なような。生きるってそんな感じですね。

 

もうちょっと頑張って生きてみます。