無駄に生きる

昨日、生きるということについて

ブログを書いてみて、

ちょっと続きみたいなようなもの。

 

 

 

最近、

といってもここ一年くらい、

よく考えていること。

 

今私が生きているのは、


「今の自分より自分をもっとよくしたい」
「病気を治したい」
「もっと楽しく生きるために頑張りたい」

 

と、そう思っているからです。

 

でも、そのように強く思う一方で、

こうも感じるのです。

 

生きるって、どう考えても非効率的だな、と。

 

 

 

 

そう考えるようになったのは、

いつ治るかわからないような、

先の見えない病気と闘うようになってからだと思います。

 

私にはいくつも夢があるし、
やりたいこととかあるわけだし、
辛い時は、いつかある楽しいことを、希望を、

そういうものを目標に、

なんとか生きようって思ってたけど、

 

本当に良くなるか、

いつかある楽しいことがちゃんと来るのか、

頑張っても報われないことだってあるじゃないか、と

どうしても、未来への幸福に懐疑的になってしまうのです。

 

 

究極、人間なんていつ死ぬかわからないじゃない。

 

なのに

「何年後にはこういうことしたいから今は頑張ろう」

って思うのって、人間の傲慢さがよく表れているなと、

夢を語るのも、夢を持つ人間も大好きな一方で、

そんなことを感じる自分も少なからずいるのです。

 


そんな見えない未来、

来ないかもしない未来のために頑張るなんて、

もしかしたら無謀だし、

確実じゃないのになあって。

 

 

 

でもそれでも今日、
ある人が

「今が辛くても無駄に生きた方がいいよ」

っていっていたことを聞いて、

(まぁそれは昨日の記事でも影響を受けていた

伊集院さんなんですが、)
「無駄」って言ってくれたことに、

ある意味救われました。

 

無駄でいいんだなあって。

辛くても、とりあえず、無駄に生きてみようって思えました。

 

 

 

 

頑張ろう頑張ろうって、

自分の幸せのために頑張ろうとしてたけど、

もうそれもよく疲れてしまいます。

 

毎日のように、

1日の中で、何度も

「頑張ろう」「頑張る必要なくない?」「それでも頑張ろう」「頑張って何になるの」「頑張るんだってば」「もう疲れたよ」

なんて、そんなことが繰り返されます。

 

 

先ほども、そんなことがあって。

もう、嫌だな、すり減ってきたな、

と思ってた時、

「でも頑張ろう、頑張って強くなろう」って決めたけど、

少し考えてみれば、

そう思うのは、悲しいことがあった時、

それをバネにして強くなってくれないと、

ただ悲しいことがあっただけでおわってしまうから、

そんなのは嫌だから必死で意味づけをしようとしてるだけなんじゃないかと。

 

「強くなる」って決めたのに、

それも疲れてきて、

 

「今頑張ろうとしてること、絶対いらない頑張りだ」

 

と言ってしまったのです。

 

自分に白旗を上げました。

 

そしたら、

それをみてくれたからかわからないけれど、

ある同級生が、

 

「ねえねえ、生きることも突き詰めていくと本当は人にいらないことで、だからより良く生きるための頑張りもそもそも必要の無いことってことにはならないのかな。
そして人間は必要の無い頑張りとか生命力に美学を感じる生き物だよね!」

 

と私にメッセージをくれました。

 

無駄に生きてると、

ちゃんと要所要所で、

救われるような言葉をかけてもらえる場面にも、

出会えるものなんですね。

 

 

頑張りなんて、

無駄でいいんだな。

生きることも、多分ほとんど無駄だし、

だけど、無駄に生きるんだ。

 

どうなるかわからない、
必要ないかもしれない、

無駄かもしれない、そんな頑張りに

美しさを見出してくれる人がいるなら、

そのためにでも私は生き続けようと
彼女の言葉で思えました。

 

生き様が美しかったら、

そう言ってくれる人と出会えたら、

いや、自分が自分にそう言ってくれたら、

最高です。

 

 

明日はたぶん、

起きる頃には目を腫らして、

別人のような顔になってるだろうけど、

無駄に生きた結果、

泣いたし、

まぶたも腫れるし、

私には明日も多分来るし、

そうしてこれからも無駄に生き続けるんだろうな。

 

今が辛くても、

だんだん良くなると信じるしかないんだよな。

もしかしたらそんなことないかもしれないから、

信じることも無駄かもしれないけれど、

まあ、無駄でもいいじゃない。

 

無駄に悩んで、無駄に悲しんで、

無駄に怒って、無駄に寂しくなって、

無駄に幸せもたくさん感じてみて、

全ての生きる無駄を体験するために、

そして無駄に生きるために、

今まだこの世に存在しているのかな。

 

 

そんなことを考えました。