世界の中心で愛を叫んだけもの

「あなたはパーソナリティ障害だと思わないほうがいいんじゃないかしら」

 

 

今日、カウンセラーさんに言われた言葉。 

私も、うすうす感じていたことだった。

 

病気って思わないほうが、もういいのかな。

そんなことについて考えた結論を今日は書こうと思う。

 

 

 

 

-----------------------------------

 

 

「医学的にはわからないけれど、心理学的には、
あなたはパーソナリティ障害と言う必要はないと思うの。

パーソナリティ障害の症状に
あてはまることもあると感じているかもしれないけれど、
でもあなたはちゃんと強いところがあるから、
パーソナリティ障害ではないと思う。

 

でも、性やアイデンティティーや、
今まで生きてきて、
今、生きづらさを抱えていることは確かだから、
それはひとつひとつここで
あなたがちゃんと抱えられるように、
そのお手伝いをここでします。」

 

と言われた。

 

 

 

 

今年の4月、
自分がBPD (Borderline Personality Disorder =境界性パーソナリティ障害)
にあてはまると気づいた時は、救われたように思った。

 

自分が「おかしい」と思っていた、
自分の嫌いなところは、
全部病気のせいなんだとわかったから、
安心した。

 

人に伝えづらいような、
恥ずかしくて言えないような、
軽蔑されそうなことも、
BPD関連の本が全部うまく言語化してくれていて、
「なんだ、病気だったのね、そうかそうか〜」
って、その場は救われた。

 

 


今まで、
ただよくわからない、
自分でも理解しがたい、
正体のない闇を抱え続ける不安と戦っていたように思うけど、
それがいったいどんなものだったのかわかったから、
そうか、私はこの言語化できる、
わかりやすい敵を倒していけばいいだけなのだ!と思った。

 

 

だけど、
そんな新しい気づきを得た私に、


「あんまり自分を病気だって思わないほうがいいんじゃないかな。
病は気からなんて言われるのは嫌だと思うし、それはわかるんだけど、
でも、それ(BPD)ではないと思うよ。」


と言ってくれる人がいた。

 

 

 

その人は私がすごく大事に思う一人で、
大好きだったし、尊敬していたし、
彼女のどんなところも私は好きだった。
彼女は多くは語らないし、私もあまり多くは語らなかったけれど、
私が病気を持っているのを知ってくれていたし、
その上で受け止めてくれる大切な友人の一人だった。

 

けれど私はその言葉を聞いた時、
とても複雑な気持ちになってしまって、


「言いたいことはわかるけれど、
でもそんなこといったって、
何をなおさなきゃいけなくて、何と戦うべきか
わかることって、大事だから私はBPDでいいと思う」


みたいなことを言った。

 

今思えば、
本当は、大事な人のそういう言葉より、
自分がずっと抱えていた苦悩がちゃんとまとめられた「病気」に
頼りたかったのかもしれない。

「”病気”こそが私をわかってくれている」と思っていた。
だから、病気に頼らざるをえなくて、頼りたかった。

 

(それは、BPDに限らず、摂食障害においてもそうだったと思う。)

 

 

その友人は、ああいうふうに私に言いながら、
BPDとはなんなのか、学ぼうとしてくれる姿勢は誰よりもみてとれた。

BPDの本を持っていたからだった。
本当はその本を持っていることをみてすごく感動した。

私はBPDの本を彼女から借りた。

それをきっかけに私はネットの知識だけで済ませていたBPDを、
本を読んでもっと学ぼうと行動するようになった。

彼女がその本を読んで、
BPDを学ぼうとしていたのかと思うと、
今でも涙が出る。
沈黙の先に見えたはずの愛に、身を任せられなかった私が馬鹿らしい。

大きな勘違いかもしれないけれど、
私を理解しようとしてくれていたのかと思えたのに。

 

 

でも、私はBPDを諸悪の根源だと考えていたし、
責任を病気になすりつけて、
病気を言い訳にした。

だから、
病気だと思わなくていい発言をした彼女に反発したり、
ひどいことをしてしまった。

 

 

本当に大事な人を、
自分の手で離してしまったことをさかいに、


「もっとちゃんと向き合ってなおさないと、
自分を幸せにできないしいつまでも人に迷惑をかける」


と、カウンセリングも週1回から週2回にしてもらって、
授業に出られなくても、
カウンセリングはなるべく行くようにした。

 

 

でも、その先で、
彼女と同じようなことを、今日、言われた。

 

 

 

 

彼女とカウンセラーさんに指摘されたそれは、
自分も本当は気づいていたことで、
なんなら摂食発症直後から思っていて、
でもずっと自分の中でも葛藤し続けていたことだった。
病気じゃないと思ったほうがいいのかもしれない、
でも病気の症状が私を襲うことも確かだったから、
どっちの立場に自分を立たせるべきかわからなかった。

結局、ずっと私は「自分は病気」というレッテルを己に貼り続けた。

自分は病気に苦しめられたけど、
自分で自分を病気に縛り付けて、より苦しかった。

 

 

 

でも、生きづらさを抱える身というだけで、
私はもうすべての病気から自由になれる時がきているのかもしれない。

もう、こんな苦しみ、いらないです。

 

 

(とはいえ、病気じゃないのなら、
これから先襲われるかもしれない苦しみを、
なんと説明すればいいのだろう?と戸惑いもある。
恐れや不安も、正直、とてつもなくあるけれど。)

 

 

医学的にはわからないけれど、
心理学的には、って、
そんな風な定義づけも可能なら、
治ったっていえば治ったことになるなら、
心理学的には、私はもう、
摂食障害も、パーソナリティ障害も、適応障害も、
治ったことにしていいですか?

 

いいのかな。

 

いいと思うんだけど、
これからも悲しみに打ちひしがれる時があると思うし、
そんなとき「でも自分は病気じゃない」と気づいて、
ただのダメな自分なのだと認めるのが怖いの。

でも、ダメでもいいのよね、多分。

 

そもそも私には笑い飛ばす力が全然足りない。

そろそろ身につけなれば多分ずっと真面目に病気に引きずられる。

笑えない、笑いを許さないような環境は不健康だから、
もっと自分で自分を笑い飛ばせるように、
ずっと自分が望んでいた「普通」を取り戻せたと、
錯覚していっていいかな。

いいよね。

 

 

治ったよ。

 

もう、治ったよ。

 

これからもいろいろあるけど、
それは病気の症状じゃなくて、
ある一部分の自分という観点で、
それなりに誠意をもって付き合っていくよ、自分と。

 

もう病気ではない。
患者じゃない。

 

そう思っていいかな。

 

 

 

摂食障害も、
BPDも、
適応障害も治った。

今日から、治った。

治った!

 

そう私が高らかに叫んだ時、
私の周りにいてくれた友達とか、
喜んでくれるんじゃないだろうか。

「治った」と認めた今、私の脳内では、
たくさんの人がおめでとうって言ってくれたような感じがして、
勝手に泣いてる。嬉しい。

 

イメージはエヴァのシーン↓

 マジでこんな感じだよ。

 

 

気持ち悪いかしらね、一人でこんなこと思っていて。

でも、本当、そう思うと、嬉しい。

 

私はこれから、

摂食経験者として、BPDや適応や鬱病の気持ちがよくわかる人として、

でも患者ではなく、一個人として、

病気に頼ることなく、

たくさんの人の「生きる」を肯定するべく仕事をして、

生きていこうと思う。

 

 

病気というレッテルを自分ではがしてしまおう。

 

それでも辛い時はあっても、

でももう、自由になっていいかなと感じる。

 

これからは、どうせ苦しむなら、
病気でいる苦しみより、
病気でなくなった苦しみの方に耐えていきたい。

 

 

 

 

とはいえ、
これからも私は足繁くカウンセリングに通おうと思っている。

いろんな自分をいやでも見て、
自分を解放して、
自分を抱えて、たくさん幸せになれるように。

それは病気のためじゃなくて、自分のために!

 

 

 

できればここまで読んでくれた人の中で、

少しでも生きづらさを感じることがあれば、

ちょっとつらいなと思うことがあれば、

カウンセリングを心の病気予防程度にとらえ、

気楽に受けて、楽になってほしいなと思います。

 

 

 

長々書いたこのブログでいいたいのは、

私はもう精神疾患からさようならができたということと、

そして辛いことに耐えている人はカウンセリングに行ってくれということ。

 

 

 

おめでとう。

喜ばしいよ、誇らしいよ。