お金と感謝について思うこと

労働の対価として私達はお金を得る。

当たり前の原理だけれど、このお金について思うことを、
自分のためにまとめておきたい。

 

 

 

こういう言い方をしたらなんだか胡散臭いと感じる自分もいるのだけれど、
それでもやっぱり私が思うのは、
お金は、感謝されたところに行くということ。

 

自分ができないことを、
自分がやったら莫大な労力と時間を要するものを、
誰かがやってくれている。

手間を省けたありがたみ、
困っていることに手助けしてもらうありがたみに、
実質お金を払うことになっていると思う。

 

 

特別な才能を持っている人や
高度な技術を持つ人によりお金が払われるのは、
その才能や技術を得ることは並みのことではなく、
それを持つ人のおかげで
多くの人がそれを得る手間を省いてその人たちに頼れば良くなるから当たり前。


自分だったら習得し300、3000時間かかるようなことを
その人に任せれば3時間で終わらせてくれるというような場合、
それは確実にお金を払うべき、かつ払うことにためらいはない。

 

 

自分がやらなくても、
食材を育ててくれる人がいて、
流通させる人がいて、
調理する人がいて、
販売してる人がいて、
公共施設を掃除してくれる人がいて、
交通機関を走らせてくれる人がいて…

身近なことでいえばこういうことに、
私達は日々お金を払っている。

 

自分がすべてをやらなくてもよいのは大変助かる。ありがたい。

 

食に関して言えば、
毎日自分で食材をすべて用意して調理して片付けなくても、
お店に入って注文さえすればこの上の手間はすべて省けてしまう。

これを書くのはお金を払えば面倒が済むからいいよね、という話ではない。


自分ができる仕事にきちんと時間を割いて、
効率的に時間を扱うためには、
物事の取捨選択をせざるを得ないし、
自分がしなくてもいいことをお金を払って省いていくのは不可欠だ。

貨幣の存在する世界では、
お金を払って「ありがとう」を示す。

 

「ありがとう」をたくさん得られる、
つまり需要のあるビジネスは盛り上がるし、
そうでなければ淘汰されていく。


「フォトジェニックで美味しくて、
心もお腹も満たされる料理を出してくれてありがとう♡」
がたくさん得られるような飲食店はそりゃ流行するように、
今の時代の人が何を求めているかをきちんと見極めて
それをカタチにできたらお金は自然と集まるでしょう。

もちろんそこを見極めるためにマーケティングが存在するし、
そんなに簡単にできることではないかもしれないが、
でも確実に、隆興している事業は、
たくさんの感謝を人々から得ている結果として存在する。

 

 

当たり前のことを長々と書いているだけだね。

 

 

まぁなんでこんな当たり前を書いているかなんだけど、
お金持ちになりたかったら、
お金を得たいなら、
「ありがとう」をちゃんと満たさないといけないと思ったからだ。

これは、他人に感謝されるような存在であれとか、
そうでなければならないというつもりではない。

そこではなくて、自分で自分に感謝できなければいけないと思った。
あとは、身近な人。


これは私の短い人生で出会った人を思い浮かべた結果感じたことなので、
まぁ世の中のそれとは違うかもしれないが、
それなりに多めの収入を得て、地に足ついてしっかり生き抜いている人って、
例えば奥さんという存在を本当に大事にしていて、
奥さんが満たされているように思う。
子供をきちんと大事にして、家族からの「ありがとう」を得ている人は、
やっぱり強いんだよな。

そして自分をすごく大事にしているし、
そうやって自分が大事にされる存在なことを、
潜在的に意識しているし理解しているだろうから、
身近な大切な人のためにも
自分をないがしろにはしていなくて。
自分でも意識できてないレベルかもしれないが、
きちんと自分で自分に感謝を渡せている。
はたから見ればそう思う。

 

そこをおろそかにして、
目先に見える仕事だけを必死にしていても、
頑張っているのに空回りしてしまうし、
あとはやっぱり、
「ありがとう」の数に匹敵しない悪事をしてしまえば、
ちゃんと崩落してしまうんだよな…。

 

しっかりと稼いで、
でもお金だけじゃない大切なものを守り抜いて、
自分を芯から幸せにするには、
いかに自分とみじかな人を大事にして、
潜在的な感謝を得ることが始まりだと思う。

よくわからないけど、多分こうだと思う。

私はこれを目指さないといけない。

 

 

私は自責癖がすごいし、
まだまだ見捨てられ不安がどこまでも強いのだけど、
ちゃんと自分に「ありがとう」といっていかなければ、
いつまでもお金を使うことに罪悪感を持ち続け、
お金を得ることにも自信を持てず、
精神的にも物質的にも貧乏であり続けると思った。

精神的貧乏は悪循環でしかなくて、
より精神を弱らせるから、本当によくない。

 

親からしても困った子だろうし、
友人含め、恋人にもすごく迷惑をかけていたと思うし、
自分は身近な人に感謝されるような人ではないから、
このあたりを意識しながら、
でも自分を責めないでなんとかやっていこう。

 

だからまずは自分をめちゃくちゃ大事にして、
自分のすべての意向を汲み取り、
どんな自分も扱えるようにしてからであり、
ちょっとまずそのあたりをちゃんと意識していこうと思うのだ。

 

お金あるところに感謝ありなのか、
感謝あることろにお金ありなのか、
(うーん、でも、
そうとはいいきれない前者の事例と、
後者だとじゃあ感謝されれば十分にお金がもらえるかといえばそうでないこともあるのだけど…。)
まぁ、お金を得たかったら
感謝を考えるべきは普通だと感じる。

そしてこの文を書いているのは
誰かへの助言のつもりでも
感謝の強要を促すわけでもなく
(私は感謝の強要が本当にアレルギーのように無理だから人に絶対したくない)
お金を得る方法とか、
お金のことを考えるなら、
もっと自分に感謝しないとダメだなと、
はじまりはそこからだなと感じたから。

 

もっと自分を好きになるとか、
もっと自分に自信を持つって、
ある人にとっては難しい感覚だと思うけど、
好きじゃなくても感謝できることってあるじゃない。

だったら無理に好きになろうとか、
自信のために成功体験増やす時間をかけようとかしなくとも、
感謝することだったら気軽にいつでもできると思った。

根拠なき自信を持つよりも簡単なことだと思う。
根拠なき自信を持ってもすぐに自己否定型の自己が強くなる人にとっては特に。

 

「喉乾いたときにお水飲んでくれてありがとう〜」
「疲れた体をお風呂であっためてくれてありがとう〜」

なんかは、自分が嫌いでもできるし、
腐りきってて自信と無縁な状態でも言える。


そんなことを繰り返して、
自分はちゃんと自分から感謝される存在になれれば、
それに気づければ、
だんだん社会との良い繋がりも自然とできたりして、
そこでお金を稼ぐ方法とも繋がって、
安定してくるのではないか。

 

 

 

まぁちょっと、自分で実験して
結果をみてみようと思います。
最後だけ敬体。

 

お金、大事だからな〜。
でもお金はあくまで感謝を可視化したものだからな〜。
と考えた結果深めてこういう持論にたどり着いた。