ありがとうございました。

ここ2週間、

新たに処方された薬を飲んでみたら、

それがものの見事に効いた。

 

 

今までにも2,3種類の抗鬱薬を飲んだが、

特段変わったとも思えず、

むしろ体がだるくなって、

勉強や仕事に支障が出たために、

抗鬱薬など信用できなかった。

 

「本当にこんなもので変わるのだろうか」

といつも思っていた。

 

今回は、

服薬は最低限にしたいと伝えた上で、

これまた半信半疑で飲み始めた。

 

これがまあ症状をよくしてくれて、

一つ前の記事にも書いた気がするけれど、

ようやく、自分が自分を取り戻したような感覚がした。

 

だるさの副作用はまだ続いているけれど、

食事の面で言えば、

2年半ぶりに「私が食べている」という実感がある。

 

 

このことに、いろんな思いを馳せている。

 

もちろん喜びが何よりも強い。

食事に飲み込まれていた日々からようやく抜け出し、

自分が食事と対等、もしくは優位にいるという

久々の感覚に、大きな幸せを感じる。

 

でもそれと同時に、呆気に取られた。

 

「今まで悩んできた日々はなんだったんだ?」

と思うほど、薬が瞬時に治してくれたから、戸惑うのだ。

 

それに、今までも何度も「治った」と思いこんで

裏切られることがあったから、

薬が効いてくれているとはいえ、

今の落ち着きがちゃんと続いてくれるのかという不安も

なくはない。

 

だから、手を抜いていいのか、

手の抜きどころをどこにすべきか、

正直まだよくわからない。

 

 

 

今のこの状況は

嬉しいことなのに、

なぜか手放しで喜べない。

 

苦しみは抜けたが、 

今度は怖くなった。

 

ブログさえも思うように書けない。

 

 

自分がわからない。

 

 

 

本当は、

自分なんてわからなくていいのだと

最近は思うのだが

(わかろうとするから辛い?わかろうとする方が傲慢?)、

自分の中にあるこの気持ち悪さを

どうにか言語化して、見えるようにしたいのだ。

 

 

 別に自分というものの全てを知りたいわけじゃない。

 

 

 

喜びと共に存在し始めたわだかまりを

理解したいのだ。

 

 

このわだかまりって、

なんなんだろう。

ここ数日、そんなことを考えていた。

 

 

 

★★★

 

話は一旦逸れるけれど、

自分がわからないことに恐れつつ、

自分なんてわからなくていいとも思えているのは、

それこそここ1週間のことだ。

 

今まではずっと自分をわかろうとしてきた。

そうでないと病気になんか立ち向かえないと思ったから。

でも探そうとしてもよくわからなくて、

結局自分は病気に支配されているんだと

頻繁に絶望しては、自分を責めていた。

 

 

でも、抗鬱薬を飲み始めてから、

抑うつ症状も軽減されたおかげか、

自分を責めることに時間を使わなくなった。

 

 

理解したい自分を

理解できない自分がいることに冷静になれた。

 

 

これが薬のおかげなのか、

それともこれまでからの学習の結果なのか、

どちらかと言われるとよくわからないけれど、

多分どっちもうまくタイミングが合ったんだと思う。

 

 

自分を痛めるくらいの高すぎた目標や理想を見つめ、

そうでない今の自分や、

それに遠ざかった現状を責めることが、

自分のお尻を叩いているならば良かったが、

自分への不信感と、疲労と無価値感が増しただけだったから、

このやり方は今の私には合っていなかったんだと

ようやく気づけた。

 

夢は、まだ、ふんわりと持ちながらも、

「こうでなきゃいけない」を弱め、

まず今の私を楽しい思いにさせてあげることだけに

注力してみようと思った。

 

 

それに、薬の副作用のおかげで

体に力が入らず、

普段やれるような着替えや家事、

外に出て歩くという行為でさえ

とんでもなく労力がかかるようになって、

「もう頑張れない…」と思うところに達した。

 

「頑張れないから頑張らなきゃ!」と思うのも疲れ、

「頑張れないならもうそれでいい」と思えるようになった。

 

1日に予定がふたつ入っていた日があって、

その予定の前に歯医者の予約の電話を入れようと思うも、

たった電話をかけるだけなのに、

体がまったく動かない。

考えると憂鬱になる。でも歯を診てもらいたい。

 

結局がんばれないと思った私は、

「1日頑張るのはふたつまでにしよう」

となんとなく決めた。

だから、歯医者は他の日に回して

今日もともとある予定を遂行することだけを

頑張ることにしようと思った。

 

そしたら気分が晴れて、

頑張ろうとしなくても外に出られたし、

なんとか歩けた。

 

 

普通ができない自分を認めて、

甘やかすことが、

こんなにも気分をよくしてくれるなんて、

知りもしなかった。

 

今までは、知りたかったけど、

それじゃいけないと思った。

人一倍頑張らないと、普通にはなれないと思ってたから。

 

 

 

できない自分とか、

人と比べようのない自分、

それに思い通りにならない現実を

私はいつもコントロールして、

うまくやり過ごそうとしてきたんだと気づく。

多分、恋愛もそうだった。

 

自分も相手も痛めつけるような、

そんな自分だったことを知る。

 

 

ああ、恥ずかしい。

 

私は私が嫌いなフリをして、

自己保身のために、

なんでも手中に収めてしまおうと思っていた。

 

だから予測不能なことには立ち向かえない、

とても幼く弱い人間だ。

 

 

※別に責めてはいない、

冷静に判断してこう思う。

 

 

だから私は

人と比べた上で

自分が人並みになることとか、

普通になることをやめ、

まず自分の思う強さを身につけ、

最低限社会で生き抜ける自分にするために、

まず自分をいい気分にさせてあげなければならないと思った。

 

強い自分にしてあげるためには、

自分を安心させる必要がある。

生きていてもいいと、自分で強く信じる必要がある。

 

 

★★★

 

 

これまで、私は自分が生きていたことの

間違い探しをしているような感覚だった。

 

すぐ自分を責めるし、

何かあると自分が悪いと思ってしまう。

 

満員電車で自分の存在の申し訳なさを感じ、

勝手に心を痛めた。

 

生きてるだけが落ち着かなくて、

恋愛したって、いつも心のどこかで

付き合っている罪悪感を感じたり、

日常で悪いことがあったり

何かやらかしたと思うとすぐに

「ほらね、だから私はダメでしょう」と、

自分が生まれてきたことは間違い、

という証拠ばかりを揃えようとしていた。

 

 

 

そういった考え方を改め、

もっと自分が楽になることを許した。

自分はこの自分でもいいということにした。

 

許したら、体も心も緩んで、

鬱も日に日に改善されていっている、

気がする。

 

 

★★★

 

 

さて、話を戻し、

一応、まだ二週間程度の経過であり

これから何があるかはわからないから、

完治したとは言わないでおくが、

鬱と摂食障害が落ち着いてから出てきたわだかまり。

 

 

 

長いと思って耐えていた

暗闇から急に追い出されて、

眩しくて外の世界をうまく見ることができないような、

そんな感覚に近いのだと思う。

 

 

 

 

もやっとしたものの正体を紐解くと、

 

「これでいいの?」という不安

抜けた私は何になれたんだろうという疑問

大学進学の目的が思わぬところで達成されたあっけなさ

病気のない状態が実に2年半ぶりなので自分に不慣れ

これからどう生きていくのか見当が立たぬ現状

 

などがあると思う。

 

 

 

「これでいいの?」という不安

 

→自分で言うのもなんだが、

病気でいた期間、本当に苦しかった。

辛くてたまらず、なんども生命の危険を感じた。

自殺は心の寿命という言葉に理解を示すほど、

その行為はもはや身近なものに思えた。

 

そんな苦しみがポッと消えた。

 

へ?そういうもの?

こんな簡単に抜けられちゃうもの?

もう頑張らなくていいの?

 

子育てと少し似てるのかな。

子供が育ったら、

もうその子に子育てする必要はないし、

その日々には戻れない。

いろいろあったけど、巣立ったら巣立ったで寂しいような。

 

寂しいといってももう戻る必要はないから

絶対に戻らないけれど、

こんなにあっけなく子供って大人になってたの?

みたいな。

よくわからないですかね、すみません。

 

今まで頑張ることしか知らなかったから、

頑張らずにこうなったことが

未だにまだ掴めない。

 

でも、何もしてないわけじゃないよと

友達に教えてもらった。

 

ああ、そうか、

病院に行って、薬をもらって、

ちゃんと毎日飲んでいる。

 

何もしていないわけじゃないな。

治ろうとしてここに辿り着いたってことか。

じゃあこれでいいのか。

 

 

 

 

抜けた私は何になれたんだろうという疑問

 

→正直、こんなにも辛い試練(病気)を乗り越えたら、

なんだか新しい自分になれていると思っていた。

 

うつる世界も薔薇色に見えて、

一皮どころか幾層もの皮が向けて、

強くてしなやかな大人の女性になれていると思ってた。

というか、そうなれることを信じて

生きることを諦めなかった。

 

でも、劇的な変化が起こったわけじゃない。

 

心は穏やかになって、この世界で生きるには

ずいぶんマシな心持ちをしているけれど、

視界が突然明るく見えたわけでもない。

地続きの日々は変わらない。

 

病気を経験して、

あっという間に薬が効いて、

今や病気とはほとんどお別れした感覚の私は、

果たして本当に成長し、

試練を乗り越えた自分なんだろうか。

 

頑張った自分は、

病気と一緒にどこかへいってしまったような、

そんな気もしてしまう。

深刻に悩んでいるわけではないのだけれどね。

 

 

 

大学進学の目的が思わぬところで達成されたあっけなさ

 

→今年になって大学進学を志したのは、

勉強したいと思ったからで、

そしてまた語り合う仲間を増やしたかったから。

 

勉強したい理由はもちろん

病気を治すためだった。

 

複合的な問題を解決しなければ

病気そのものは絶対になくならないと思っていたから、

それまでも自分なりに勉強していたけれど、

もっと多様な知識を身につけ、

より良い治療法を編み出したいと思ったし、

ラジオの影響で、考えを深めるだけではなく、

語り合う仲間が欲しくなった。

 

以上の二点を考えると、大学という場がもっとも適切だと思い、

そういえば私は高校三年生で受験というものを経験していないし、

いっちょやってみるか、という気持ちで望んだわけだけど。

 

もっと勉強して、

自分と誰かのために役立てるぞ!

と意気揚々になっていたもの(大学生活)が

鬱になって計画が頓挫し、

その道中で計画そのものの目的が達成されてしまった。

 

せっかく大学に入ったのだから、

病気の治療以外にも、

女性として、

働く人として、

(将来)お嫁さん(になる)として、

ためになる知識を身につけたほうがいいだろうと思うが、

第一の進学理由がなくなり、

ちょっとだけ自分を見失っているのかもしれない。

 

やりたいことがわからなくなったというか。

 

 

 

病気のない状態が実に2年半ぶりなので自分に不慣れ

 

→病気になってからというもの、

病気を治すということが人生の生きる目的になっていたし、

それだけに情熱をかけてきたし、

そればかりを見てきたから、

「普通の人って何に悩み、どう生きているんだろう」

とよく気になった。

 

それまで病気と戦っていれば生きていることになっていたけど、

それがなくなった、なんでもない自分に会うのが久しぶりすぎて、

どう接したらいいのかわからない。

 

もはや、病気になる前の19歳くらいから、

病気のない自分は実は成長していなかったのかも、と感ずる。

 

周りの人が生きてきた2年半を、

私は自分の病気に捧げてしまったから、

新しい自分か、それとも昔の自分かわからないが、

今、病気のあった頃とは確実に違う自分と会って、

何をしたらいいのか、

何をさせたらいいのか、

よくわからなくなってしまった。

 

 

 

これからどう生きていくのか見当が立たぬ現状

 

→自分を苦しめる何かから自由になりたいと思った。

夢を見ることが、自分を苦しめるなら、

一旦離れようと思う。

 

だけど、夢のない自分は、

果たして何を頑張ればいいの?

 

いや、頑張るのは一時休止にしているけれど、

この先、何をして生きていくの?

 

2年半、頑張った部分が

病気と一緒にごっそり抜け、

全く成長していなかった自分が

今更21歳だよと言われ、

病気の私が作り出した今の環境を、

やり過ごすことができるのか?という不安もある。

 

病気と一緒に、

それまでの生きる情熱とか希望が、

一緒に消えて、

というか消えたことにできちゃって、

新しい自分でどう進んでいくのか

見当もつかないし、

当分の目標もないので覇気がない。

元気にはなったけど。

 

これまでの病気の自分が作り出した環境で

新しい、それを知らない自分が生きなきゃいけないのは

どうも息苦しい。

 

私は本当にここにいていいんだろうか、

ここにいたいんだろうか、

ここでしたいのはなんだろうか、

とそういった自問自答が繰り返されるのである。

 

 

★★★

 

 

書いていて、気づいたことがある。

 

自分を生きることになったのだ。

だから戸惑うし、慣れない。よくわからない。

 

たぶん私は、母親の影がずっと心に潜んでいた。

 

夢や目標は、

もちろん本当にそうなりたいと思うものかもしれないが、

母とは違う人間になるためということを意識した上でだったし、

自己否定は、

母にとやかく言われ、傷つく前にと予防線を張った上での思考だった。

 

 

そういう、自分を辛くさせていたものを取り除いて、

あんまり気を張らずに、

楽しい気分でいることを自分に許せた一週間前から、

自罰思考は減ったけれど、

それと一緒に、

夢を持つことにそれほど情熱がなくなった。

 

ないと言えば嘘になるが、

あると今は自分を苦しめるので、

持たないようにしている。

 

 

先ほど子育ての例を出したが、

私はずっと親離れをしたいと思いつつ、

できていなかったんだ。

今はもう戻らなくていい時期、

飛び立っていい時期なのか。

 

 

急に自分の足で立つ感覚を持つということは、

母の呪縛や母のプレッシャーを

前ほど感じない(ようにしている)ということに近い。

 

けれど、

やっぱり今までで構成された

母の影響とか価値観は強力なものだから、

自分を作る自分の全てがちぐはぐな気がして、

心許ないのだろう。

 

 

わかろうとしているわけじゃないけれど、

自分がわからない。

 

書いていて、

「あれはこうなんじゃないか」

「これはああなんじゃないか」

とたくさんの思考が思い浮かび、

うまく言葉にまとめられたかわからない。

 

自分の脳で考えていることのたった3割くらいしか、

うまく言語化できなかった。(もともとうまくはないというのは置いといて)

 

書いていてももどかしい。

考えても、書いても、やっぱりよくわからないままだから。

 

 

 

 

でも、いつかこのブログを見返して、

「こう思っていたのが、成長したなあ。」

と思える地点にまで行けることを願う。

 

 

★★★

 

「喉元過ぎれば熱さを忘れる」ということわざを

私は昔から強く意識していた。

 

熱い感覚は過ぎさっても、

その時感じた思いだけはなるべく忘れないようにしたい。

そう思ってきた。

 

だから、今もこのよくわからない状態を

まとまらなくても書き記した。

 

生きている証として。

未熟な証として。

 

 

私はこれからどうなっていくのかって、

考えても正直仕方がないと思うし、

どうしていきたいか、あまりコントロールするつもりはなく、

流されていきたいと思いつつも、

今までそう生きてこなかったから、

よくわからないんだ。

 

深刻に悩んでいるわけではないが、

生き方ってどんなものなんだと答えを求めたくなる。

 

でもその「わからない」も含めて

不安を感じすぎずに

「それも私」と思って

とりあえず生きてりゃいいのかな。

 

 

 

いろんな悩みや葛藤を忘れず、

人の痛みに寄り添い、

生を肯定できる人間でありたい、

その思いだけは未だ強くある。

 

何になりたいとか、

どんな肩書きになりたいとか、

そういうことよりも、

まずその自分の持った哲学だけを大事にしてみるか。

 

 

これから夏休みです。

 

今はとりあえずゆっくり休んで、

動きすぎず、

適度に動き、

これからの学生生活を乗り切るための方法を考えつつ、

好きに生きてみます。

 

好きに生きるって、

お金ないと結構難しいんですが、

一瞬一瞬の思いや選択をフラットに抱えて、

その時々を楽しむのが好きに生きるってことかしら。

 

 

まぁ、

まだ完全に病気が治ったとは言えないと思うので、

様子を見ながら、ゆっくり進みます。

 

 

 

でもやっと、

友達に「元気?」と聞かれて

「元気」と答えられるようになりました。 

 

今までは元気じゃ嘘だから「まぁまぁ」と答えるしかない自分を

不甲斐なく思っていた。

そんなこと、思う必要なかったのにね。

それはそれで精一杯だから仕方なかったし。

 

 

ま、生きててくれてよかったよ。